子どものころから魚と戯れ、趣味で熱帯魚とガッツリ向き合い、生業もやっぱりアクア業界。しかも魚座って、ウソみたいな本当の話(笑)。まさに魚づくしの半生。しかも、生まれも育ちも、金魚のまちとして全国に知られる大和郡山。養魚場のプロとして地元を盛り上げる一方で、アクアリストとしてグッピーをこよなく愛する姿を紹介します。
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◆グッピーコンテストの本当の目的
金魚のまち・大和郡山で最大級の養魚場・やまと錦魚園。100年以上の歴史を誇る老舗で、年間約300万匹以上もの金魚を出荷しています。併設の金魚資料館には歴史的資料も豊富にあり、さすがとうならせるお宝もいっぱい。
何といっても、年に数回開催される金魚セリ市が有名。金魚愛好家が一堂に介し、売ったり買ったり。良質な高級金魚が安く手に入るイベントとして仕切ってきたのも、やまと錦魚園でした。
養魚場の嶋田輝也社長を、20年近くサポートしてきたのが西脇高広さん。あ、この人見たことあると思った人も多いはず。地元・大和郡山で金魚業界を引っ張ってきた若手の代表格でもあります。そう、嶋田さんはとっくに有名ですがこれからは西脇さんもお忘れなきよう(笑)。
その一方で、グッピー愛好家としての側面も。現在、奈良めだか倶楽部の3代目会長。年に2回、春と秋に行われるグッピーコンテストを主催しています。金魚ではありません、グッピーですから念のため(笑)。コンテストではありますが、個体の優劣を競うのは二の次。それ以上に大事にしていることは、グッピーの魅力を少しでも多くの人に広めていきたいというパフォーマンス精神。グッピーの未来をきっちり考えているのです。
ここ1~2年、新型コロナの影響で開催すべきかどうかずいぶん悩んだ時期もありましたが、感染対策を万全に行いながら無事開催。本来なら年2回のイベントでしたが、2年連続秋のみの開催。それでもグッピー愛好家同士、あるいは近畿に点在するご当地グッピー倶楽部同士の絆も強まりました。
グッピーは、今やすっかりライフワークに。仕事では金魚を扱い、趣味でアクアリストとしてグッピーを楽しむスタイルは不変です。今回はそんな西脇さんをクローズアップ。焦点は、養魚場ではなく趣味としてのグッピー。コロナの影響もあってここ数年はなかなか会えず、久しぶりの再会となりました。
◆亡き初代会長との出会いと誓い
西脇高広さん。38歳。仕事も趣味も、魚一筋。生まれも育ちも大和郡山。しかも魚座って、ちょっと出来すぎ(笑)。これまで金魚のイベントでは何度も顔を合わせたり、養魚場の若手を集めた企画でも登場してもらっていますが、こうして単独でじっくり向き合うことはまずありませんでした。現場ではいつもお互いバタバタすれ違い。こうして改まってみると、ちょっと緊張(笑)。
――子どものころから魚が好きだった?
「父親の影響が大きかったです。週末になると、奈良県のダムや川に連れていってもらってました。メインはヘラブナで、デビューは3歳くらいだったと思います。以後、小学生になってもずっとそんな感じでした」
――ゲームに夢中になる年頃なのにずっと魚(笑)?
「そうですね(笑)。中学生になると親から離れましたが、友だち同士で近所の川へ釣りに出かけていました。幸いなことに、近くには川が3本もありましたから楽しめました」
――グッピーとの出会いは?
「10代前半、中学生のころだったと思います。当時、奈良おとと倶楽部というショップが奈良市内にあって、そこで見たドイツイエロータキシードリボンにヤラレてしまったんです(笑)。メスが7㎝もあり、これはかなり衝撃的でした。グッピーでも、うまく育てればここまで大きくなるんだと思って」
――そのころからブリーダーとしての先見性があったという証でもある。
「その時は、とりあえずワントリオ(リボンタイプのメス1匹、ノーマルのオス1匹、リボンタイプのオス1匹)を8,000円で買いました。外掛けフィルターの水槽2本でのスタートでした」
――そんなに早く出会っていたとは意外だし金魚歴より長い(笑)
「ずっと独学でしたけどね。グッピーに限らず熱帯魚はひと通り飼いました。あまりに魚が好きすぎて、一時はバスプロになりたいと思ってNBC(日本バスクラブ)に所属していたことばもありましたが、さすがにこれでは食っていけないと諦めました(笑)」
――やまと錦魚園さんへは?
「父親が奈良県中央卸売市場に勤めていたこともあり、一時は仕事を手伝っていたこともありましたが、母親の勧めでアルバイトとして勤めるようになったのが最初です。趣味というわけにはいかず金魚と本気で向き合わないといけなかったので、金魚の種類を覚えたり金魚の匹数を数えることから覚えました」
――まさに金魚とグッピーとの二刀流(笑)
「そういえば、6年くらい前に出張でタイへ出かけた時に、夜市でRREAフルレッドと出会ったんです。発色のいい赤色がとってもきれいで、これにもヤラれてしまいました(笑)」
――出張で疲れていて金魚と錯覚したのかも(笑)
「早速オス3匹、メス4匹を買いました。いつの日かこの品種を、コンテスト基準のレベルの魚にまで引き上げられるよう育ててみたいと思ったんです。コンテストでも意識して出品するようにしています」
もし、あの店であのグッピーやあのオーナーに知り合っていなかったら、今の自分はなかったかもと振り返る西脇さん。何度も店に通い、グッピーに関するノウハウもたくさん教えてくれたオーナーをリスペクトしないはずがありません。のちに奈良めだか倶楽部を立ち上げたのも、実はその時のオーナーだったのですが、残念なことに他界。「グッピーに関して師匠のような人でした」。紆余曲折の果てに3代目会長を引き受けたのも、師匠から学んだことや守ってきた伝統を絶やすまいと誓った結果だったのでしょう。
◆断熱・湿気対策も万全
早速自宅のグッピールームへ。大和郡山市内の真新しい戸建て住宅の2階部分。3タイプのサイズの水槽が約40本、4段ですっきり並んでいます。幼魚、若魚、稚魚などを成長過程ごとに管理しています。ここを見たことのある人は?「ないですよ。キワメテさんが初めてですから」。光栄です(笑)。
もちろん水道完備。水替えは1週間に1回行いますが、グッピールームで完結。もちろん汲み水も常備。
ブラインシュリンプもここで沸かしています。
水槽のほとんどが生後2~3カ月の若魚が中心。グッピーを始めるきっかけになったドイツイエロータキシードリボンはもちろん、ハーフブラックイエロータキシードや出張先のタイで見つけたRREAフルレッドなどがラインナップされています。いずれも、成魚としてコンテストに出品できる個体にするのはこれから。大きく育つかどうかは、ブリーダー・NISHIWAKIの手腕にかかっています。金魚養魚場でのノウハウは、確実にグッピーのブリードにもいかされています。いや、ひょっとしたら逆かもね(笑)。
ここでは稚魚を育成中。
間もなく出産予定のメスはブリーディングボールに入っています。
こんなところにまで気を使ってもらって恐縮です(笑)。
もともと実家だった家を、6年前に建て替えたのが今の真新しい自宅。6年前というと、出張先のタイで出会ったRREAフルレッドに夢中になり始めた時。家を建て替えるにあたって、グランドピアノが置ける強度の床補強を施しつつ、万一の水漏れにも対応すべく防水フローリング仕様に。さらには、コンプレッサーによって空気を壁の中で循環させるシステムを取り入れて断熱・湿気対策も万全。恩恵を受けて、グッピールームは「夏はエアコンがなくても対応できていますし、冬は6畳用のオイルヒーターひとつで管理できています」。グッピーも西脇ファミリーも、ともに日々快適にすごしています。
◆メスと同居させる意味
――グッピーの魅力は?
「うまく育つと、大きくしかもきれいに成長することでしょうか。だから単に飼育だけでなく、ブリードの楽しさも増すのだと思います。でもまだまだ満足しているわけではありませんし、だからこそまた上を目指したくなるんです」
――自分も納得できるグッピーを育てたいと?
「個人的には、模様のあるものより単色のグッピーが好きなんです。なので、コンテストで自分の好きなRREAフルレッドが認められることをレベルアップの目標にしています」
――最近の傾向は?
「日本の基本はデルタテールのグッピーで、フルレッドはラウンドテールになりやすいんです。そういう意味もあって、いかに発色がきれいで大きな体や美しいデルタテールをつくっていくのかが、愛好家のテーマでもあります」
――コンテストの意義とは?
「会場では色々なグッピーを見ることができますから、自分のつくったグッピーを見てもらえる機会でもあります。そんな刺激を共有しながら、情報交換の場であったらいいと思います」
――いいグッピーをつくるには?
「水槽がたくさんないとダメだと思われがちですが、決してそんなことはありません。たとえ水槽1本・2本からでもコンテストレベルのグッピーをつくることは可能です。ひとまず30㎝1本・ワンペアからスタートすればいいと思います。いずれにせよ、大きく育てるためには、魚のポテンシャルをいかに引き出すかが大切です」
――気をつけたほうがいいことは?
「オスはメスに比べて食が細いんです。オスの単独飼育だとなかなか大きくならないので、食欲旺盛なメスと同居させるのがベターです。そうすることで、食欲旺盛なメスにつられてオスも大きく成長していく可能性が広がります」
――グッピーと金魚の共通点があるとすれば?
「品種が多く個体が大きく、かたちもきれいで発色がいいという点では同じだと思います。何より、グッピーも金魚も、コンテストのようなイベントなどを通じてもっとみんなに知って欲しいし広めていきたい、という思いも同じです!」
◆金魚一生、グッピー一生
10代前半で趣味を通じて出会った国産グッピー。あれから20年以上もグッピー愛好家と向き合い、コンテストなどを通じてグッピーの魅力を広く浸透させてきました。
そして、職業人としても昔からの金魚ファンに混じって養魚場をサポートして、金魚普及に貢献してきました。
多くの大人たちに認められつつ、気がつけば兄貴的存在で若手のアクアリストを引っ張っていく存在になりました。どこにいてもどんな境遇でも、自分のことより人のことという、まるで昭和チックな義理人情的ライフスタイル(笑)そんな生き方をブレることなく貫いてきたからこそ。多くの人と信頼を築けてこられたのでしょう。
親の仕事をよく手伝っていた少年時代。活気のある職場で大人にまじって仕事をすることで、「人と接することが多かったので、マナーが自然と身についたかも知れません。仕事はきつかったですが、周りはやさしい人ばかりでした。その筋の人に可愛がってもらって、一度だけ組に誘われたことも今では懐かしい思い出です(笑)」。
「グッピーに始まりグッピーに終わる」改め、「金魚一生、グッピー一生」。こういってしまうと、ちょっとプレッシャー(笑)?