水槽をメインとした観賞魚用品総合メーカーのKOTOBUKIが、今年7月に創立50周年を迎えます。
当初は数人で立ち上げた会社も、今では全国のアクアユーザーに観賞魚用品の老舗として認知されるメーカーに。
こんな機会はめったにないので、昔を知ってもらおうと「キワメテ!水族館」は色々考えました。
昔を知ってる人は、「あー、いかにもコトブキらいしね~」と。
最近アクアの仲間入りをした人は、「へー、コトブキってこんな会社やったんや~」と。
そこで今回は、50年間をざっと回顧してみました。
なんとシリーズで全4巻。
なお現在、過去のカタログを整理中で、それがまとまり次第KOTOBUKIの製品の変遷も年表的にご覧いただこうと考えています。
50年の間には、みなさんの知らないコトブキ伝説も色々。
これを機に、KOTOBUKIの商品に対するさらなる愛着が生まれたらうれしいです☆
◆知る人ぞ知る社名由来
何せこんな企画をやるのは「キワメテ!水族館」だけなんです。第一、「当人」でさえ「あら、もうそんなになるんでしたっけ?」って(笑)。ということで第1回目は、会社が誕生したあたりから軽く攻めてみましょう。
実は水槽メーカーとしてスタートするまでは、初代社長のお父上が手がけていた冷蔵庫用ステンレスの加工会社でした。当時の冷蔵庫といえば、ステンレスボックスに氷を入れて冷やすのが主流。冷蔵庫をつくるたびに出るわ出るわ、加工後のステンレス板の切れ端。当時社内で働いていていた初代社長が、これをほかのものに応用できないものかと考えた結果が、ステンレスを材料にした水槽づくりだったのです。今でいうリサイクルの走りみたいなものですよね。
そして1966年7月、本格的水槽メーカーとしてスタート。社長に就いたのは、瀬川寿男。弱冠22歳。若っ(笑)!そして社名も「寿工芸」と変更。そうなんです、社名の由来は、瀬川初代社長の名前からだったんです!
◆水槽組み立てはパテからシリコンへ
当時のモットーは、「売り上げを追求せず収益を重視し、独自の商品でゆとりの生産をする」。要するに、ユーザーが本当に欲しいと思う商品を開発して、結果的にそれが会社の利益につながったらいいなー、ってことです。安かろう悪かろうなんて、もってのほか。今のように、価格競争ありきではなかったことがうかがえます。
写真は、最初につくられた総合商品カタログ。レトロでしょー?地味でしょー(笑)?しかもカラーではなく2色刷り。ラインナップは水槽オンリー。当初はステンレスでフレーム組みをつくって、ガラスとステンレス枠をパテで接着してあったそうです。その後、ステンレス枠は樹脂素材へ、パテはシリコンに変わっていくことになります。
◆水槽をインテリアとして「格上げ」
当時アクアリウムは、趣味の世界でしかありませんでした。いわゆるマニアしか関心を寄せないジャンル。マニア以外の多くの人には、「金魚鉢」として認識されていました。そこで瀬川社長は考えた!「金魚鉢ではなく、アクアリウムをもっと多くの人々に広げなあかんのや!」と。関西弁で叫んだかどうか知りませんが(笑)。単なるかけ声だけでなく、マニアを対象にした商品開発からもっと初心者にも使ってもらいたいという熱い想いを胸に抱いて。当時の水槽メーカーとしては、斬新というか大胆というか、冒険だったと思います。
そして掲げたコンセプトが、「水槽をインテリア感覚で」というフレーズでした。今まで玄関の軒先にあった水槽を、リビングに持ち込んでインテリアにしようと。
システム水槽「アトロ」(写真上)がまさにそれでした。30数年前の当時としてはシステマチックで、画期的&斬新的。インテリア好きの女性にもウケにウケて、めっちゃ売れたそうです。おかげで主力商品にもなったことはいうまでもなく。「懐かしいな~、アトロやん♪」と、これをご覧になって目を細めている読者もいらっしゃるのではないでしょうか。
◆業界初のショールームも
システマチック水槽第1号ともいうべき「アトロシリーズ」。とにかく爆発的に売れました。水槽をインテリアとして売り出したい瀬川社長の狙い通りに。店舗や企業ではなく一般家庭にも浸透していったことで、アクアの人気も少しずつ高まってきました。
その後のシリーズも順調に売れ、ついに「関西にKOTOBUKIという面白い会社がある」といわれるほど、急成長を遂げました。
1987年、当時としては超珍しかったショールーム(写真上)が近鉄南大阪線・北田辺駅に完成。もちろん業界初の試みでした。しかもここでは販売は一切行わないといういさぎよさ(笑)。あくまで、イメージづくりでした。ここでも瀬川社長のブレないこだわりが、独自の販売戦略となって確立していったのです。
◆業界初 水槽のロボット生産を実現
KOTOBUKIの生産拠点は、ご存じ奈良天理工場。瀬川社長の発想は水槽のスタイルだけにとどまりませんでした。常に自らの手で水槽を製造しながら、あれこれ考えていたそうです。「もっと効率よく高品質な商品をつくるには、どないしたらええんやろ?」と。そしてついに、自動シーリングロボットを独自で開発。水槽の要であるシーリングを自動化し効率を上げるとともに、品質の均一化を図ることに成功しました。
1993年には、松原工場から移転。以来現在まで、国内に製造ラインを持つ水槽メーカーとして歩んできたことはいうまでもありません。水槽組み立ての要となる自動シーリング加工ロボットはフル稼動し、業界でのロボット導入というのも当時はどこもやったことのない例として、多くの注目を集めました。
◆瀬川社長ってどんな人?
ところで、「さっきから瀬川社長~瀬川社長~って何度も出てくるけど、どんな人やったん?」とお思いのかたも多いことでしょう。ということで、この写真の人が瀬川社長。わずか22歳で社長に就任し、57歳の若さで急逝するまで会社を引っ張り業界をリードしてきたアクアの牽引者にほかなりません。
もともとアクアに携わっている人ではありませんでした。むしろ、聞いたところによると生きもの全般が超苦手だったという説も(笑)。しかしながら、瀬川社長自身が観賞魚飼育だけにとらわれず、インテリアとしての新しい着眼点が、独創性のある経営を継続してこれたのかも知れません。
もう一点、瀬川社長を駆り立てたものがあったとしたら、それは海外視察の影響であろうと。アクアがすでにインテリアとして確立されていたヨーロッパの視察では、かなりの刺激になったのは間違いないでしょう。ほかにも、瀬川社長自らが商品名を考案したりアイデアを提供したり。いやはや、瀬川伝説は数え上げたらキリがありません。
ちなみに、恒例の慰安旅行ではいたずら心満載で女子社員を困らせたことも、一度や二度ではなかったそうで(笑)。茶目っ気たっぷりのフレンドリーな瀬川社長は、業界でも社内でも慕われていたそうです。
その瀬川社長が、2003年に急逝。享年57歳という若さで、この世を去りました。あまりにも衝撃的な出来事でした。KOTOBUKIにとって、ひとつの時代に終わりを告げた年でもありました。そして、急きょその後を受け継ぐことになったのが、二代目である瀬川豊・現社長だったのです。
◆「生き字引」もいる?天理工場
奈良天理工場を語る時、この人なしでは語れない「名人」がいます。それがこの人、村井勝彦さん。入社以来、25年以上にわたってシーリングロボットでの生産やオーダー水槽を手がけてきた「水槽職人」です。まさに、生き字引。卓越した熟練技術を持っている人がメーカーにいたというケースも、業界唯一でした。以前「キワメテ!水族館」でもご紹介したことがありますが、色々とヒミツが多すぎる人で(笑)。
ある日、瀬川初代社長との電撃的な出会いで入社以後、器用すぎる手先を武器に、生産全般やオーダー水槽に欠かせなかった職人さんです。創立50年を迎えて「早いね~、あっという間やったよ」と、多くを語らない村井さん。「若手の職人さんもちゃんと育ってきてますから、どうぞご安心を(笑)」と話してくれました。
もう一人ご紹介を。品質管理部の野崎さん。アクアとはまったく無関係な世界からこの業界に飛び込み、社歴は10年以上。これも村井さんと一緒(笑)。
工場で生産された製品をひとつひとつチェックする妥協なき職場。ユーザーからの問い合わせ対応を自ら行うことも少なくありません。またそうした情報が、最終的に野崎さんに伝わり細かな仕様変更などを進めているとか。頼もしいけど辛い仕事ですよね~(笑)。でも「この工場から出て行く商品に、不良品は絶対出しません」と心強い一言が、この会社を支えているのだなと実感しました。これは心強い!寡黙な語り口調で、写真に撮られることはニガテ。まあまあ、そう仰らずに(笑)。このあたりもシャイな村井さんと一緒ですね~(笑)
◆自由な社風で自由な発想
商品開発やパッケージのデザインなどに関わる企画課・山口さんや、店舗設備課・佐郷さんたちが共通して口にするのは、「自由な社風の会社」であるという点。自由というと一見ラクそうにみえますけど、「そんなこと全然ありませんから(笑)!」(山口さん・佐郷さん)。いやいや、わかってますってば(笑)
自由度が高い反面、責任も重大。どちからというと少数精鋭的な陣容の昨今、それはよりシビアに結果に表れます。こうした社風だったからこそ、ユニークな商品も生まれてきたのでしょう。「そのためにも、今の市場がどう動いているか、常にアンテナを働かせています」(山口さん)。その証拠に、この50年間で「業界初」といわしめた出来事がどれほどあったことか。それだけ、社員が面白いものを自由に発想して商品開発にあたってきた結果でしょう。
今や水槽だけでなく、アクア用品もかな~り充実。展示会で初お目見えして世間をアッといわせた「P-CUT」や「すごいんですシリーズ」など、ロングセラー商品も多々。最近では、ミニサイズの用品や水槽も登場するなど、「こんなものがあればいいな~」という、よりユーザーニーズに近い商品開発が目立っている気がします。
「やっぱり水槽の老舗ですからね~」「地味やけど信頼性がある商品が多いです」「KOTOBUKIさんならきっと面白い商品を出してくれると思う」などなど、「キワメテ!水族館」のショップ取材ではよくこんな声が聞かれます。それは、50年の実績イコール周囲の大きな期待感でもあることはいうまでもありません。
◆「自由な社風」をベースに個性のある商品づくりへ
最後に、瀬川豊・現社長にお話をうかがいました。初代社長が、2003年に急逝。まだ30代の若さで突然の社長就任となってから13年が経過しました。
--突然の社長就任は大変だったでしょうね。
「そうですね、自分が今まで携わっていたことはわかっても会社経営となるとまったくの未知数でしたから。それでも、古くからいる社員たちの多くにサポートされて、格好がついてきたかな、と」
--先代社長の影響が大きかったのでは?
「とにかくやり手の人でしたからね。特に経営面においては、売り上げだけを追求するのではなく品質が最優先でした。そのために、社員も徹底して瀬川イズムを叩き込まれていました」
--社長就任後はどのような会社を目指そうと?
「どちらかというと初代社長はトップダウンの経営でした。商品開発に関しても、社長がやると言ったら誰も逆らえなかったんです(笑)。でも私は、企画や営業の意見も取り入れながらいい商品をつくっていこうと。これからもそう考えています」
--なるほど、“自由な社風”と社員の方が口にするのはそういうことだったんですね。
「初代のころと時代も変わりましたからね。ひとつのことを変えていくのにはエネルギーがいりますが、時代の変化と同時にいつまでも昔のやり方をやっていたのでは社員もついてきません」
--思い入れのある商品がありましたらぜひ。
「それまではインテリア水槽で商品開発を進めてきましたが、すでに市場では同業他社からのインテリア水槽も増え、飽和状態になっていました。そこで、観賞魚イメージをやや控えめによりおしゃれでスタイリッシュな路線で行ったことがあるんです。Face(写真上)という商品がまさにそれで、インテリアとしての水槽という観点はそれまでと同じだったんですが、水槽を両方から観賞出来るようにデザインしました。両面の顔を持つ水槽、まさにFaceです。この頃から日本でも対面キッチンなどが普及していましたのでリビング側からみる家族はもとよりキッチン側からでもアクアリウムを楽しんで頂けるように考えました。水槽の観賞面は今までのコンパクト水槽サイズでしたが、水容量を減らすことで女性でも手軽に取り扱える商品として好評いただきました」
--ああ、カタログのテイストが一時期大幅に変わった時ですね。
「商品カタログをみてその製品をイメージしてもらえるようにと、デザインはまさに女性向きでした。このあたりの路線変更も、社員の意見を取り入れて実現したものなんです」
--これからが大いに楽しみですね。
「“やっぱりコトブキさんはやることが違いますね!”と言っていただける商品を必ず(笑)。やり方は多少初代と違っても、コトブキらしさを前面に押し出していきたい気持ちに変わりはありませんから」
◆KOTOBUKI新時代到来の日は近い☆
自宅では、小さな水槽でベタとバンパイアクラブ(写真上/淡水カニの一種)を飼っておられるという瀬川現社長。どちらかというと、兄貴的なキャラ。社員との年齢差も近いだけに話しやすく、風通しのよい会社であることは容易に想像できます。親子が故に、先代と似ている部分があるのは当然のことです。そういう点でいえば、自由度の高い社風でユニークな商品開発を開発してきたDNAは、頼もしいばかりにちゃんと引き継がれています。
まさに「寿スピリット」を軸に走ってきた50年。かたや親分肌の初代社長、こなた兄貴肌の現社長。インタビューで最後に話してくださった「KOTOBUKIらしい商品」の登場は、決して遠い先の話ではないような気がします。もしそれが実現すれば、業界やアクアユーザーにの大きな刺激となることはいうまでもありません。と同時にそれは、KOTOBUKIの新時代到来の日でもあるのです。
【つづく】