前回、松尾大社で耳にした伝説。それは、神を乗せたカメが大堰川(おおいがわ)を上ったものの、上流の急流で立ち往生。そこで登場したコイがリリーフを任され、その後無事目的地に到着したというものでした。めでたしめでたし。ところが伝説は、これだけでは終わりませんでした。1300前から続いてきた伝説が、何と今も脈々と受け継がれていたのです。
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◆田園を望む大井神社
JR山陰本線・並河駅から歩いて約10分。小学校と隣り合わせにあるのが大井神社。ひっそりとしたたたずまいで、地域に溶け込んでいます。
神社は住宅地にありながら、東側には田園風景が広がっています。そしてさらに向こう側には、コイが神様を運んできたといういにしえの伝説の残る大堰川が流れています。ちなみに、大堰川の中流域はあの保津川下りで有名な保津川と呼ばれていますが、現在は全域が桂川と称されています。
大井神社が建てられたのは、資料によると710年(和銅3年)。今から約1300年以上も前に、元明天皇の勅命を受けたとのこと。
遥拝所。この方角の先には伊勢神宮があることを示しています。ひっそりと置かれた遥拝所から、伊勢神宮が身近に感じる気がします。
◆境内のコイが意味するもの
この札の3つ目に書かれていることが妙に気になります。
境内には小さいながらも太鼓橋が架けられています。
橋の下には小さな池があります。
そして小さな池のほぼ真ん中には、カメのオブジェも。池は「丹の池」といわれる神泉。かつてこのあたりは赤い水の泥湖だったそうで、この池はその名残りといわれています。前回ご紹介した松尾大社にもカメ、ここ大井神社にもカメ。ということは。。
池を反対側から見るとこんな感じ。池の周りがきれいに整備されているのは、きっと池が大事にされているからなのでしょう。
よく見ないとわかりづらいですが、境内の石碑には2匹の魚が描かれています。品種までは不明。特に説明書きなどはありません。うっかりすると見落としてしまいそうですが、神秘的な奥深さを感じずにはいられません。経年変化により、かなり朽ち果てた感じ。察するに、相当年月が経っていることがうかがえます。
カメに続いて、やっぱりここにもいたコイ。拝殿の天井近くに掲げられ、崇高なたたずまい。さきほど見た石碑に彫られていた2匹の魚も、きっとコイだったに違いありません。
さらに拝殿には、額縁によって飾られたコイが飾られていました。由緒正しい拝殿に、いかにも大事そうに祀られているのが印象的です。松尾大社同様、ここでもカメとコイが主役を張っていました。あの時耳にしたコイの伝説は、この神社ではどのように浸透し解釈されているのでしょうか。
◆伝統は1300年継続中
神社発行のしおりには、こんなユニークな絵が掲載されていました。さらにしおりには、こんな記述もありました。コイに乗った神様が松尾大社から大堰川を上って無事この地に着いたあと、「大井神社氏子地内では、その鯉の大功を崇め大切にし、鯉を食べないばかりか触れることもせず、五月の節句の鯉のぼりも揚げない風習が今も語り継がれている」と。これは驚きでした。昔はこんな風習があったとさ、ではなかったからです。1300年経った今でも、令和に生きる人々にちゃんと受け継がれていた事実だったからです。
こんな珍しい風習が、語り継がれいるだけでなく今なお実践されている亀岡市大井町。人口は亀岡市でも2、3番目に多い約8,000人ですが、今回の取材でこの風習を知らない人は誰もいませんでした。
神社の近くを通りかかったご夫婦は、「私たちは町外から引っ越してきたんですが、最初は確かにびっくりしました。でもそのことが生活に支障をきたすわけではありませんしね(笑)。今ではすっかり当たり前に思っています。」と、意外にポジティブな反応でした。
また別のご夫婦は、「コイノボリも最近では揚げる人も少なくなりましたからね。別にどうってことはありません(笑)。それに、もともと食べることも少ないコイですから、この先一生食べなくても全然平気です(笑)」と、風習を守りつつそれを重く受け止めている様子はまったくありませんでした。
◆「コイ教育」は子どものころから
カフェを営んでいる若いオーナー談。「小学生の低学年のころに、図書館で見た資料に触れたのが最初でした。小学校の授業でも習った記憶がありますが、どちらもああそうなんやというくらいの感想でしたよ(笑)」と、すんなり受け入れられたそうです。「ただ、となりの町にはコイノボリが揚がっているのに、うちの町にはなぜ揚がってないんだろうと不思議には思ってました」。聞くところによると、幼稚園などでコイの絵を描くこともしていないそうです。
そして、触ることもNGのコイ。ということは、この町でコイを飼育している人もいないということに?「おそらくそうだと思いますよ。池や水槽で飼っている人はいないのではないでしょうか」(喫茶オーナー)。ペットショップは町内に数件あったものの、いずれも生体の取り扱いはありませんでした。あるショップは、「コイノボリはダメでも、室内とかであれば飼ってる人もいるかも知れませんけどね(笑)」とグレーな反応。
大井神社の宮司さんの話によると、氏子の中にはコイと呼び捨てにすることなく、今も「お鯉さん」と呼ぶ人もいるそうです。それほどコイの存在は尊敬に値し、1300年経った今でも脈々と受け継がれているのは、立派というほかありません。
もちろん罰則や条令があるわけではありません。にもかかわらず、昔の風習を前向きに守り続けている人たち。たかが神話、されど神話。なぜそこまで徹底しているのか、誰にもわからないそうです。
◆町を幸福に導いたコイ伝説
毎年10月16日には、この場所で大きな祭が行われます。特に陣羽織姿の人たちが10数頭の馬に乗って行列を行う様子は勇壮そのもので、今や亀岡市を代表する秋の風物詩でもあります。
反対方向から見ると、祭で使用する一本道はかつては参道でもあったのでしょう。
昔はここに拝殿がここにあったことを示す石碑も建っていました。
目の前には田畑が広がり、のどかな風景が印象的です。
いくつもある用水路。コイ伝説とは直接関係はありませんが、今でもコイがいそうな気がしてしまいます。
大堰川の河川敷にはゲートボール場などが整備され、町民の憩いのスペースになっています。
そしてコイ伝説とは切っても切れない大堰川の様子。水面は至っておだやかです。
大堰川の上流には日吉ダムがありますが、そのおかげもあって大きな水害に見舞われたこともありません。
屈託のない笑顔で話す町の人たち。のどかな田園風景。そしておだやかな川の流れ。コイによる伝説は、単に昔からの風習だけでなく人々のくらしの要所要所で幸せをもたらしているのかも知れません。
「鯉伝説のまち・大井町」。JR並河駅前に設置されている案内板に書かれているタイトルにも、力がみなぎっていました。