滋賀県の湖北地方・長浜市高月町雨森(あめのもり)区。
長浜市を流れる高時川から水を取り込み、農業用水として古くから生活に根付いてきました。
家並みを取り巻くように水路が流れ、水車が回り、花が咲き、鯉が泳ぎ、そして人々のくらしがあります。
湖国百景のひとつとして、国交省の「手づくり郷土賞」にも選定されました。
小さな村でありながら、雨森まちづくり委員会が中心となってにより美しく整備されたたたずまいへご案内しましょう。
◆高時川より水路へ
雨森区の水路は、近くを流れる高時川から始まります。滋賀県長浜市を流れる淀川水系の河川で、姉川の支流でもあります。総延長は41.4㎞で、栃ノ木峠を水源に、長浜市内を南北に流れています。※
雨森区の北部・白山神社とその付近。もともと農業用水としてつくられた水路は、一時荒廃した時期もあったそうです。
高月町は、「観音の里」としても知られています。まちの至るところに観音が存在し、戦国時代はわざわざそれを土に埋めて隠したほど、湖北地方の人々の信仰の深さを物語っています。JR北陸本線・高月駅から歩いて5分ほど、ここ渡岸寺観音堂もそのひとつです。国宝に指定されている見事なまでの十一面観音は、まさに高月町の守護神かも知れません。
お寺のすぐ近くにあるのが、食事処・渡岸寺庵。雨森区を訪ねる前に、ひとまず寄り道して腹ごしらえをすることに。
山菜そばをいただきました。こちらのうどんやそばは、すべて鉄鍋が使用されています。鉄鍋は灰汁を吸い取ってくれて、こんぶだしの風味をより引き立ててくれるのだそうです。なるほど、こんぶだしの風味がなんともいえません。
湖北の名物ともいうべき、鮎の姿寿司も美味でした。天然の竹をそのまま使った風情は、まさに湖北ならではでした。ちなみにこちらのお店は、去る4月16日(土)に放送された旅番組「おとな旅あるき旅」(テレビ大阪)でも紹介されました。
◆澄んだ水と花とが織りなす景観美
取材に訪れた日は、まさに春爛漫。高時川づたいに咲く桜が見事に満開で、桜のトンネルにうっとりしながら雨森区を目指すべく北へ向かいました。
こうした案内表示がところどころに。そう、雨森区は、江戸時代中期に朝鮮との外交に尽力し儒学者・雨森芳洲氏の出身地でもあったのです。これらの案内表示は、雨森区の案内人の役目も兼ねているのです。
このあたりから雨森区となります。天川命神社が目印です。地元の人たちがつくったであろう手づくりの観光看板がひとつあるくらいで、まちは素朴そのもの。
それにしても、どこを見渡しても無粋な看板がなく、しかもゴミひとつ落ちていません。まるで映画のセットのような、そしてどこか懐かしいにおいが漂っています。
これぞ雨森区の風物詩。水車もコットンコットンと「仕事」をしています。最も大きい水車は、街灯の発電にも寄与しているそうです。※
あちこちに水路があり、パンジーやベゴニアがまちに彩りを添えています。透明度の高い水路と相まって、水路には豊かな表情があふれています。
まるでパンジーの花が、川を行き交う小さな船団のようにみえなくもありません。
雨森まちづくり委員会が中心となった努力により、どの水路も本当にきれいで驚いてしまいます。聞くところによると、月に1回は村がひとつになって水路清掃を実施するのだとか。さらに、「3日に1回は“川さらい”をしてますよ」という地元の女性も。自分たちの家の前も村全体も、あくまで自主的に美化に取り組んでいるのです。自主的な営みほど、力強いものはありません。
鯉がピチピチ泳いでる水路もあります。きれいな水にはやっぱり元気な魚が似合います。
今日はお目にかかりませんでしたが、ホタルや沢蟹の自然体系も戻ってきているのだとか。地元の人々による美化努力が、自然回帰の側面でも一役買っています。
◆雨森区と儒教者・雨森芳洲氏
ここが儒学者・雨森芳洲氏の生家があったところ。現在は「東アジア交流ハウス 雨森芳洲庵」として、資料館として整備されています。
館内には東アジアとの交流の歴史を物語る資料が豊富にあります。
枯山水の庭のような美しい庭。最近は韓国からの観光客も増えてきているほか、かつてはホームスティとして迎え入れた韓国の青少年と地元の人々が、今なお交流を続けているケースもあるのだそうです。先人が築いてきた異国との交流は、百年以上経った今も息継がれているのです。
昭和を感じさせる郵便ポストが目印の蔵屋和庵(くらやなごみあん)。まちで唯一のカフェ(?)ですが、実は古美術品や骨董品を扱うユニークなお店です。取材の日、初対面にもかかわらずついつい話し込んでしまいました。「思わぬ展開」が待っていますので、家並み歩きに疲れたらぜひ訪ねてみてください。
手軽に家並みを散策する観光客の姿もあります。
高時川に沿って気持ちよさそうに泳ぐ鯉の群れが5月の空に映えます。※
◆湖北地方の「おもてなし」
お家の玄関には、2~3段下りて川のそばまで行ける場所が。かつては野菜を洗ったりする風景が当たり前だったそうです。「決して観光誘致のためではなく、自分たちのまちだからきれいにするのは当たり前」。何百年の歳月が流れようと、先祖代々のポリシーが今も変わることはありません。
そして何より、今回出会った人々の親切なこと。道を聞いても丁寧に教えてくれました。決してクラクションなど鳴らさず申し訳なさそうに頭を下げる人ばかりでした。初対面なのに、興味深い話をたくさん提供してくれました。聞くところによると、それもこれも湖北の人たちの「おもてなし」の心がそうさせているのだそうです。
当たり前のように毎日をすごす地元の人々。そして水との深い関わり。
時代は水車のように回っていても、人々の営みは変わりません。水が豊かなところでくらす人々は、心まで豊かになるのだと実感した一日でした。※
※=写真提供/雨森まちづくり委員会・大橋基明さん