滋賀県の湖というと、びわ湖しか思いつかない人も多いと思いますが、内湖といわれるものが20数カ所に点在しています。それぞれ独立した淡水湖でありながら、川や水路を通じて実はびわ湖とつながっている独自の水面形態。循環作用の働きにより、在来魚の産卵の場所であったり、野鳥にとってのオアシスでもあったり。県下最大の内湖・西の湖(にしのこ)もそのひとつで、戦前の食料難により多くの内湖が干拓されてしまった歴史の中で、今日まで生き延びてこられた「びわ湖最後の内湖」でもあります。
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◆内湖と安土城址
西の湖はなぜ「西」と呼ばれていたのか。それは、滋賀県有数の観光スポット・安土城址のある安土山からみた方角が西だったからです。安土城址といえば、かの織田信長が建てた最後の砦。今も石垣が数多く現存し、かつて周りを圧倒する勇壮な城が建っていたことをうかがわせています。
JR安土駅前には、そんな戦国時代のヒーロー・織田信長の銅像が。
信長ファンだけでなく、全国の歴史ファンや山城ファンが訪れる安土城址。石段をひとつずつ登りながら、先人が築いてきた歴史に触れてみる人は少なくありません。
天守跡には、本丸の礎石がいくつも残っています。城は青色や朱色、金色などの派手な色使いだったそうで、当時の城としては珍しく豪華絢爛なしつらえだったことは有名です。特に西の湖からの眺めが絶品だったとか。きっと信長は、レイクビューまで計算して築城したに違いありません。というより、西の湖も自分のものとして支配したかったのかも知れません。
◆パッチワークのような干拓農地
山上からみた西の湖。目の前に見えるのは八幡山。その裾に近江八幡市の市街地が広がり、はるかかなたには比叡山も見渡せます。手前をよく見ると、干拓によって転用された田畑などの農地が。戦後まだまだ食料難が続いていたら、もしかしたら西の湖も干拓によって消失していたかも知れません。
向こう側に川があり、その先はびわ湖までつながっています。これが内湖の特徴。手前にもっこりとした緑の固まりがありますが、かなり背の高い植物が群生しているようで、一体どんな植物なのか気になるところです。
安土山から北の方角に目をやると、びわ湖が見えます。びわ湖の向こう側には比良山系。そして手前には、干拓によって農地となったところ。こうしてみると、まるでパッチワークのようです。
内湖のようにもみえる大同川。もちろんこの先はびわ湖につながっていますが、干拓が行われる前は今よりもっと大きい内湖でした。
あれは島?それとも半島の一部?西の湖に浮かんでいるように見えますが、どうやら戸建て住宅がいくつも建っています。軍艦島ならぬ住宅島。水際がすぐ近くまで迫る独特の地形です。
安土城址を訪れた人なら、誰もがこの不思議な光景に目を奪われます。早速あとで行ってみることにしましょう。足を伸ばして、あの「住宅島」まで。
◆「よしきりの池」の役割
西の湖は、面積2.8㎞、周囲約10㎞。驚いたのは、水深の平均はわずか1.5m。周囲に山々が迫っているせいでしょうか、もっと深いようにみえます。
湖岸にはおだやかな風景が広がっています。初めてこのあたりを車で通る人は、てっきりびわ湖だと勘違いする人も少なくないそうです。
外周道路に沿って桜並木が。春になるとこのあたりの風景もピンク色に染まるのでしょう。
ここはこのあたりを管轄する排水機場と呼ばれる取水施設。これにより、この地域で使われた農業用排水はこの場所に集められます。そしてそれらは特別につくられた水路を通って、とある場所へ送られる仕組みになっています。
その場所というのが、「よしきりの池」。さっき安土山から見えたこんもりとした緑は、まさにこの場所でした。
そして背の高い植物とは、葦(ヨシ)だったのです。
◆葦の思わぬ効能にあっぱれ
ここは葦の群生地。パッと見はススキのように見える背高の葦。ススキ同様イネ科の植物ですが、ススキと違って河原や池など水のある土壌を好みます。かつては葦屋根や葦簾、夏障子など、日本の伝統家屋に多く使われていましたが、葦には知られざる大きな効能がありました。
まずは、水の流れを弱くして水の汚れを緩和させる働き。次に、葦の水中部分ににつく微生物や土中の微生物によって、さらに水の汚れを分解する働き。そして、葦が水中の窒素やリンを養分として吸い取る働き。これらの葦特有の働きによって、水や生きもの、農作物に大きな好影響を与えています。
よしきりの池は、まさに汚れた水をきれいに変換させるための自然のフィルター。ここには機械らしきものは何ひとつありません。排水機場のゲートから導かれるように葦が自生している池を経由して、再びリサイクル水路などを通って西の湖にきれいな水となって再び注がれる構造です。西の湖と葦がつくり出した、水の再生工場。そして自然との共存。これも信長の智恵と愛の賜物なのでしょうか。
ちなみに、これだけ多くの葦の群落があるのは西の湖だけ。規模は近畿最大級といわれており、今も地元の人たちの努力によって西の湖と葦は大切に守られています。
葦が密集する場所では、多くの魚の卵が産みつけられます。孵化した稚魚はエサ場や隠れ家として葦の村で育ち、やがって成魚となって旅立っていきます。またコイ、ニゴロブナ、ゲンゴロウブナ、ギンブナ、ホンモロコ、ヨシノボリなどの淡水魚のほか、カワニナやヒメタニシといった貝類も生息するなど、まさに自然の宝庫といえるでしょう。
このほか、魚と同じように産卵したり子育てすることを目的に、多くの野鳥が葦を求めて飛んできます。カイツブリ、オオヨシキリ、バン、カルガモなとのほか、スズメやツバメなどの棲み家にもなっています。
よしきり池にほど近い干拓農地では、きれいになった農業用水によって育った野菜や大豆などの農作物もたくさん。魚や鳥たちだけでなく、農作物を口にする人間たちも葦のお世話になっているというわけです。葦パワー、恐るべし!
◆シェフのこだわりが自然との共生をうむ
よしきりの池の近くに、さきほど山上から見たあの不思議な風景“住宅島”とおぼしきエリアがありました。やはり島ではありませんでした。早速エリアに足を踏み入れて表示板を見てみると、「江ノ島住宅」。なるほど、シチュエーション的にはあの江ノ島に似ているようなリゾート感もあります。正確なことは定かではありませんが、おそらくバブルの頃に宅地開発され分譲住宅が飛ぶように売れたのでしょう。
少しまちを歩いていると、バブリーな雰囲気が漂ってきます。さっき山から見たような、島内を歩いてる感じはまったくありません。
場所柄、ヨットやクルーザーなどもあり、ちょっとした別荘のようです。当時は、「とっておきのレイクライフを楽しんでみませんか?」的なキャッチフレーズで売り出されたのかも知れません。
そしてたどり着いたのがこのお店。オーナーシェフ自身が気に入ったものしか出さないというこだわりのお店「Petit CANAL」。まるで童話に出てきそうなイングリッシュテイストのガーデンを通って店内へ。
明るい店内のお客さんのほとんどが女性でした。
近江牛を使ったオリジナルハンバーグのほか、野菜はすべて地元産。地産地消の心が料理に生かされています。もちろんパンの原材料となるのは国内産の小麦オンリー。
そしてソースなどもすべて自家製で無添加。
西の湖が目前に迫る絶好のロケーション。食材を生かすために、オーダーを受けてからつくっていくというこだわりよう。西の湖や葦の存在があったからこそ、オーナーシェフのこだわりに火をつけ、心を動かしたのかも知れません。
結局のところ、自然を守るということは植物や生きものを守るというだけでなく、結果的には人間にすべて返ってきます。
西の湖の干拓も葦の自生も、うまく自然と共存していけばいいことは必ず連鎖するに違いありません。
そろそろ冬支度。滋賀の厳しい冬はもうすぐそこまでやってきています。葦も水も生きものも、健やかに年が越せますように。