あの黄門様ご一行や、悪を成敗する仕事人たちも歩いて渡った、時代劇チックな風景。1本の木造橋という至ってシンプルな建造物なのに、知名度は全国レベルで立派な観光スポットとなりつつあります。そこには、単に風情だけではない独自の美学がありました。
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◆木津川を東へ歩く
京都府八幡市。ここは木津川の起点。約1㎞下流には木津川・淀川・桂川が合流するスポットがあります。いわゆる「三川合流点」。一体どんなダイナミックな風景が待っているのか興味は尽きないのですが、今日は黄門様や仕事人たちの舞台にあやかることに。
ちなみに河口まで37.8㎞あるそうです。
振り返れば、京阪本線の鉄橋が。おけいはんが颯爽と走っていきました。
木津川の左岸を歩いてひたすら上流へ。変わりやすいのは男心と秋の空。さっきまで晴れていたと思ったら、急に雲が広がり曇天模様。どうやら今日は、そんな繰り返しの一日になりそうです。
この道は歩行者と自転車のみが通行可能。ただし、今の季節は風いことも。
時折木津川の川面が顔を出していますが、河川敷は雑木林が多く川らしい雰囲気はあまりありません。ちなみに上流には高山ダムがあり、大雨や台風などの時はダムの放流によって水かさが増すケースも。
◆流れ橋は茶畑とともに
木津川起点から歩き始めて約1時間。国道1号線・新木津川大橋から見えてきたのが、「流れ橋」でした。あまりにもシンプルすぎる1本の橋でした。
さらに近づくと、橋脚部分も見えてきました。時代劇っぽい雰囲気が満載で、近づくにつれテンションも上がります。
川の周辺には、日本家屋の建物も。もちろん「流れ橋」とは何のつながりもないのですが、はたから見ると景観もマッチしているような気がしないでもありません。
現着。対岸までまっすぐ伸びる日本最長級の木造橋。これが「流れ橋」の全貌でした。
全長356.5m、幅3.3m。正式な名称は「上津屋橋」。抹茶の原料となる碾茶栽培の茶畑が随所にあり、日本遺産「日本茶800年の歴史散歩」のひとつにも認定されています。
すぐ近くには、サイクリングを楽しむ人たちのレストスペースも。
早速渡ってみることにしました。
◆ぎしぎし音もなく
いかにも時代劇に出てきそうなシチュエーション。これが噂に聞いていた「流れ橋」かと思うと、興奮を隠せません。そんな思いをかみしめて、ゆっくりゆっくり歩きます。木造だからといって、ぎしぎしと音を立てて歩行者を不安にさせることはありません。
手すりはありません。橋板の木と木の間に極端な隙間もなく、吊り橋のようにぐらぐらすることもありません。思っていたより構造はしっかりしていて不安を感じることはありませんでした。
とはいえ、自転車から下りて手押しで渡るのが、この橋独自の自転車利用ルール。
誰かが置いたのでしょう、河原に置かれた石が文字もしくは模様を醸し出しています。もしかして「ろはす」?
こちら側にも色々と。ナスカの地上絵ならぬ、流れ橋の地上絵。
これはあの人気アニメキャラクター。ヒゲが3本足りません。せっかく、どこでもドアで時空を超えてやってきたのに。
ここまでくると、川がやっと眼下に。おだやかな流れの木津川が印象的です。
◆リアルタイムのライブカメラも
約15分で対岸に到着。ここにもレストスペースはありますが、飲食ができるような施設は見当たりません。赤い毛氈を敷いた茶店などがあれば、シチュエーションともマッチ間違いなし。
三川合流点から6㎞を示す石標。
ヘリからの視認性を高めるためでしょうか、堤防にも大きく描かれています。
リアルタイムに映像を流している国交省の防災ライブカメラ。インターネットでも常時川の様子を見ることができます。
広がるダイナミックな田園風景。米づくりがさかんな場所だということがよくわかります。
はるかかなたには滋賀県の名峰・比叡山。
いつまでも眺めていたい、のどかなシーン。
こちらにも茶畑が広がっています。黄門様や仕事人だけでなく、千利休にも見てもらいたかった風景です。
◆なぜ「流れてもいい橋」なのか
「流れ橋」がつくられたのは、昭和28年。戦後間もない時期だったため、物資調達にも苦心したそうです。もちろんコスト面だけでなく、自然災害への対応も大きな課題でした。
先人たちがたどり着いた工法が「流れ橋」でした。川が増水すると橋桁と橋板が流されるものの、ワイヤーロープでたぐり寄せれば復旧できる、というユニークな工法だったのです。ここ以外にも、茨城県や徳島県、福岡県などにも同じ構造の「流れ橋」が存在しています。
川の水位が上がった時だけ使えなくなるという点では沈下橋や潜水橋などがありますが、「流れ橋」は構造自体がまったく違います。
台風などの災害時に大雨が降れば、水位はどんどん上昇します(国交省の資料より)。
そして川の水位が橋桁付近に達すると、橋桁と橋板がぷかりと浮かび上がる仕組みです。
ここで橋桁と橋板は流出し始めるのですが、それぞれがワイヤーロープが橋桁に固定されているので、川に流されてしまうといったことはありません。
大雨などが峠を越え、水位が下がっていきます。まだ橋板と橋桁は浮いたままです。
ようやく安全な水位にまで下がった時点で、ワイヤーロープをたぐり寄せて橋桁と橋板を引き上げます。それらを橋脚の上に乗せれば、復旧作業完了というわけです。
橋の上からでもワイヤーロープが見えます。橋板同士がしっかりつながれている様子もわかります。
橋桁を横から見るとこんな感じ。
橋脚は木とコンクリート製の杭により5本1組で構成されています。長いワイヤロープも見えます。
橋板の裏はこんな感じ。
増水時、橋への堆積物の付着に伴う川の決壊などの2次被害を抑止するためだけでなく、復旧に伴う工期やコストを考慮してこの工法が最も適切だと判断された結果なのでしょう。
◆ありのままに生きるということ
農産物直売所や日帰り温泉施設もある「やわた流れ橋交流プラザ 四季彩館」の一部には、いかにも「流れ橋」の橋桁をイメージしたような構造物が。
地元の消防団の倉庫にもシンボリックに描かれています。
陶芸の工房も近くにあります。
橋がつくられてから過去に何度も流されましたが、そのたびに復旧工事が行われています。
ちなみに、2013年9月の台風による被害を受けた時の復旧工事コストは3,600万円。工期は約半年。もしこれがコンクリート製の橋だったら、コストも工期もこんなものでは済まなかったしょう。
来年、「流れ橋」は記念すべき架橋70周年を迎えます。
流されては元に戻され、また流れては元通りに。その繰り返しの70年。ひたすら自然体で、すべてを受け入れてきました。
決して流れに逆らわず、カッコつけず、さらけ出すのはありのまま。そんな「流れ橋」の持つ美学に思いを馳せながら、2022年の締めくくりに自身の人生を振り返ってみてはいかがでしょうか。
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※2023年1月31日(火)まで有効