口に含んでみると、空気のような軽さでスルッとのどの奥へイン。ほんのり甘みがあって、今まで感じたことのないあまりにもソフトな新感覚。1300年前の昔から、女人禁制で知られる名峰・大峰山系を中心に伝わってきた水は、「味がない」ことが美味しい理由です。奈良県のほぼ真ん中に位置する天川村洞川(どろがわ)地区は、そんな名水の恩恵を長年にわたって受けてきた山深い集落。もちろん人だけではなく、魚や水草などの健康にもひと役買っていました。
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◆大峰山ゆかりの名水
大峰山に参拝する行者たちの宿坊的存在として栄えてきた洞川温泉。昔も今も変わらぬたたずまい。こんな風情のあるところで、たまにはのんびりと骨休みをしてみたいものです。近くには居酒屋やナイトクラブなどあろうはずもなく、これなら濃厚接触の心配はなさそうです(笑)
ひょうたん型をしたユニークなペットボトルがおうちの軒先に。見るからにインスタ映えしそうな風景。まさに、ひょうたんから駒、ではなく、ひょうたんから水(笑)
昼間だと味気ない洞川温泉のメインストリートも、日が暮れて明かりが灯るときっと幽玄な雰囲気が醸し出されるのでしょう。
旅館には、玄関とは別にこんな軒先があります。かつて大峰山での修行を終えた行者たちが、腰を下ろして荷ほどきをしやすいように設計された洞川温泉ならではのたたずまい。昔は宿泊客の8割が行者だったそうですが、近年ではその比率が逆転。時代の流れを感じずにはいられません。
現実と聖地との境界線ともいうべき女人結界門。ここから先は女人禁制。誰もいないことをいいことに、入ってはいけません。外出自粛ではなく、入山禁止(笑)
◆財産区によって守られてきた名水
旅館の軒先からこんこんと水が湧き出ているところが、いくつかあります。これこそが、大峰山を源流とした湧水。長い長い歴史の中で、今も村の財産として名水が守られてきたのは、それらを司る財産区という組織があったからこそ。
「山に降った雨や雪が、地中にしみこんだり山の表面を伝って川に注ぎ込んだり。水そのものは1300年以上から存在していたのは確かで、これを貴重な村の財産として守り共有しようとする動きは昔からあったようです。これまで台風や集中豪雨などの被害もさほどなく、水が枯渇することもありませんでした」と話すのは、この村で生まれ育った洞川財産区長の角谷甚四郎さん。旅館・角甚のオーナーでもあり、地域で小学生に剣道を指導している村のリーダー的存在でもあります。
水を手にとってみると、ひんやり。ミネラル濃度8.2という数値は健康にもよさそう。専門家によると、一般的な水道水よりも酸化力が高く結晶の大きさも小さいのだとか。もちろん「日本の名水100選」にも選ばれています。
真言宗醍醐派の大本山として知られる龍泉寺。その昔、行者が大峰山に入る前には必ず立ち寄り、安全祈願と水行をして身を清めたといわれている神聖かつ由緒あるお寺です。
一見、池のように見えるのが水行場。龍の口から吐き出される水も湧水のため、止まることはありません。湧水ならでは透明度。行者たちはどんなスタイルで水行をしていたのでしょうか、ちょっと想像してしまいました(笑)
◆ウォーターソーシャルディスタンス
「ごろごろ水採水場」は、一般の人でも自由に湧水を汲める場所。一見、どこにでもある観光用駐車場なんですが、ちょっとした仕掛けがあるんです。場内にはカフェも楽しめる「ごろごろ茶屋」も。ん?ごろごろ?山からの水がごろごろ湧き出ているからだとか、山肌がごろごろしているからだとか、ハッキリとしたごろごろの語源はわからずじまい。いずれにせよ地元の人は、源流となっている五代松鍾乳洞から湧き出る水のことを愛着を込めてこう呼ぶのだそうです。
1台の駐車スペースの後ろ側には蛇口が見えます。なるほど、これが採水口だったとはよく考えましたね。これなら1列に並んで順番を待つイライラもありません。車1台につき採水口が1個。ほかの車との距離も十分保たれ、ソーシャルディスタンスもバッチリ(笑)。採水口は4~5カ所だろうと思いきや、何と40近くも。ええーっ、こんなにたくさん?つまり、一度に40台の車が大峰山の名水にあやかれるってことなんです。貴重な村の財産なのに、こんなに大盤振る舞いしちゃっても大丈夫なんでしょうか(笑)
蛇口を軽くひねってみると、勢いよく水がジャーッ。おっともったいない!すると近くで水を汲みにきていたおじさんが、「大丈夫大丈夫、水はいっぱいあんねんから(笑)」。は?ああ、水が枯渇することはないですよという意味だと納得。軽トラにほぼいっぱいの水を汲んで帰ったおじさん、名水コーヒーを出すカフェでも経営しているのかと思いきや、あくまで「一般人」でした。他府県にまたがる移動は全面解除にはなりましたが、不要不急の水汲みはできるだけ自粛しましょうね(笑)
平日の昼前でも、10数台は停まっていたでしょうか。みなさんよく知ってます。これまでも名水の取材をたくさんしてきましたが、水へのこだわりが強い人がいかに多いか、よくわかります。一度味を知ってしまうと、もうほかの水は飲めなくなるのも当然だといえるでしょう。
◆全国に浸透した「ごろごろ水」
その名前がすっかり浸透し、お土産だけでなくネット通販としてもすっかりおなじみになったのが、商品としての「ごろごろ水」。ああ、この水って洞川で採れた湧水を使ってたんだ、とお気づきのかたも結構いらしゃると思います。
五代松鍾乳洞から湧き出た新鮮な水を、4つのフィルターを使った特殊な方法でろ過。徹底管理された独自の工場で、その日湧水した水のみを充填・梱包され、東へ西へ。しかも、あえて地元で定着しているごろごろ水という名称をそのまま商品名に起用したところがミソなんです。
「今では自社製品だけでなく、オリジナルパッケージのものを県下の有名ホテルや病院、鉄道会社などで取り扱ってもらっています。最近では化粧品メーカーさんとタイアップして、ごろごろ水と奈良県産の天然保湿美容成分とをブレンドした美容液を商品化し、ふるさと納税の返礼品の一品とさせていただいています」と話してくれたのは、ごろごろ水を製造販売する会社・名水の里工場長・皿谷弘子さん。化粧水なんてさすが女性目線。生まれは洞川ではありませんが、縁あってン十年前にこの村に嫁いで以来、すっかり地元の人に。あまりにも人懐こく話しやすいキャラは、てっきり大阪の人かと思いました(笑)
ナチュラルミネラルウォーターごろごろ水は、国交省・環境省・奈良県認定商品。ラベルの表示を見ると、ナトリウム0.24㎎、カルシウム3.38㎎、マグネシウム0.122㎎を含んだ鉱泉水。
聞くところによると、大峰山系は地質学的に石灰岩が中心なのだそう。ほかではめったにない珍しい宝石のようなキラキラした真っ白い鉱物も採石されるなど、こうした村特有の土壌こそが、上質の水を生み出す要因になったのかも知れません。
水に健康を求める人は少なくありませんが、ごろごろ水を愛用し続けたことで大病から逃れた人もいるそうです。まだまだ科学では実証されていないジャンルではありますが、病気予防や体質改善などの効果を身をもって体験した人もいるような気がします。
◆水の効果はメダカ飼育にも
樋口みどりさんが営む喫茶ともでは、ごろごろ水を使った名水コーヒーを提供中。ああ、これを飲んでみたかった(笑)。コーヒーカップをゆっくり口に運ぶと、何と口あたりの軽いこと!ひっかかることなく、スーッとのどの奥へ運ばれていきます。そして残るのは、コーヒーの芳醇な香り。「まろやか」という表現がよくありますが、それとはまた違います。香りを邪魔しないというのはこういうことをいうのでしょう。名水はコーヒーにとってまさに名脇役。こんな時代に自分を主張せず、主役を相手に譲るなんて何と健気な水なんでしょう(笑)
山からの水をダイレクトにお店に引いている商店がありました。名水とうふ山口屋。確かに豆腐は水で決まるといわれるほど、豆腐づくりには重要なウエイトを占めていることは間違いありません。この日、残念ながら店長の山口成基さんはお留守で、当然豆腐もすでに完売。新鮮なものを提供したいとあって、販売は完全予約制になっています。それをよく知っている人は、わざわざ鍋などを持参して買いに訪れるほど。しっかりとしたコシがあり、大豆の香りがほのかに感じられるシンプルな名水豆腐。わざわざ湧水を引っ張ってきてまで豆腐づくりに専念するのは、代々からのこだわりがあったからでしょう。
おお~、こんなところでアクアの世界と出会うとは(笑)。代々伝統旅館を受け継いできた久保治旅館の久保達治さん。フロントにコンパクトサイズの水槽が控えめにひとつ。白メダカなどがたくさん泳いでます。水草も地元産で、キツネノマクラといわれる野草なのだそう。「飼育水として谷の水を使っているので、カルキ抜きをする必要もなく置き水もしません。タニシのおかげもあるかも知れませんが、去年から全然掃除もしてないんですよ」。え、こんなにきれいなのに?これは驚きでした。しかもどのメダカも元気で、病気らしい病気はしたことがないといいます。水草にとっても魚にとっても、やっぱり水がいいと波及効果はあります。久保治さん、ぜひ機会があればメダカ以外も飼育してくださいね。いい水のあるところには、やっぱりアクアが似合いますから(笑)
◆いずれ水草水槽の取材を約束
この日、最後に訪れたのが洞川川魚センター。さきほどのメダカに刺激されて、取材のシメはやっぱり魚でいきたかったんですよね(笑)。
敷地のスペースには、石製のプールが3つ。それぞれのプールでは、アマゴ・アユ・イワナが養殖されています。合計何と3,800匹も。ここで養殖された川魚は、ここで食べることもできますが、多くは地元の旅館などに供給され宿泊者からも美味しいと評判です。
養殖用には、湧水の混じった川上川の水を使用。「魚はエサより水が大事なんですよ。エサは1年くらい与えてなくても大丈夫ですが、水はそうはいきません。いつもいい水で保っておかないと、美味しい魚には育ちません」と、オーナーの南 一浩さん。地元出身で、一時は橿原市に住んでいましたがこの地にIターン。息子さんの浩太さんとともに、川魚センターを切り盛りしています。
ん?この溝は一体なんでしょう。小石がたくさん敷きつめられ、山側から水が絶えることなく流れています。「魚すくいと宝石つかみどりの子ども向けの遊び場なんです」と南さん。魚すくいはわかりますが、宝石つかみどりって一体?聞くと、日本でもここしかない鉱石があるのだとか。そういえばさっき、このあたりの土壌は石灰岩だという話を伺いましたが、日本唯一の鉱石もあるとは初耳でした。
おお、これですか!レインボーガーネットという鉱石で、確かに宝石のように透明感があってキラキラ輝いてます。すごいですね、これ。いやいや、これ以上紹介してしまうと心ない来県者が村を荒らしてはいけないので写真だけにしておきます(笑)
こんな鉱石もありました。断面が四角くて鈍く光っています。川魚センターが休みの時は山へ出かけて石集めもするという南さん、まだまだ話したそうでしたがお口にチャック(笑)!
今日一番刺激的だったのは、コレとの遭遇でした。そうKOTOBUKIの「水切り抜群スコップ」。えええ、どうしてこんなスグレモノがこんなところに(笑)?「すごく便利いいんですよ、石をすくうと水がサッと切れるから」。いやいや、そのまんまじゃないですか(笑)。それにしてもこんなものをご存知なんて、南さんってもしかして相当なアクアファン?とうれしくなっていたら、その謎はこのあとすぐに解けました(笑)
店内に入ると、何と90㎝水槽があるではありませんか!しかも流木をあしらったアクアテラリウム仕様。さらにはミスト発生装置まで発動。流木は川で木の根を拾ったもので、コケは山で採取したのだとか。2年前くらいまではびっしりコケが育成されていたのですが、残念ながら虫の影響でダメになったそうです。
「これがうまくいっていた時の写真です」と後日送ってくださったのがこれ。山奥の自然をイメージしたそうで、水槽を立ち上げてわずか1カ月でこのクオリティー。聞くところによると南さん、照明にこだわりがあって、この時はデコライト15W7個で、1日8時間オンにしていたそうです。はぁ~、参りました(笑)
ほかにも、自宅で管理していた当時の水草水槽。これまたすごい。1週間に1度トリミングを行い、CO2を4秒に1度補給していたとか。アクアテラリウムに水草水槽、まさかこんなところでこんな人に会えるとは。やっぱり日頃の行いがいいからなんです(笑)!
そしてもうひとつ。こちらもほぼ同じような要領で水草を育成、どちらも水替えは減った分だけ1週間に1回補う程度だったそう。残念ながらすべて1年前にリセットしたそうですが、使用していた水槽はどちらも、こだわりの90㎝。あーもったいない。南さん、本物のアクアリストじゃないですか(笑)。「色々やることが多くて今は休んでいますが、近々水草水槽をまたつくろうと思っているんです」。マジですか!?じゃあ水草水槽が完成したら改めて取材に来ます。約束ですからね(笑)!
とにかく魚が大好きだという南さん。わかってます、後日連絡をとり合った時の携帯の着信音が♪サカナ サカナ サカナー サカナーを食べーるとー♪という数年前にヒットしたあの歌でしたから(笑)
◆人に対するやさしさを忘れない
洞川に名水があることは以前から知っていますが、今回取材を通じて多くの人と出会えたおかげで、色々な話を聞けることができました。何といっても、決して閉鎖的ではない温かくて親切な人柄が印象的でした。
洞川で生まれ育った子どもたちは15歳で故郷を離れ、下宿や寮生活などの方法で高校に通うケースが多いといいます。若くして故郷を離れ、別の場所で社会の荒波にもまれることで、自分たちが子どものころいかに親や地元の人に愛されていたかを痛感するのだとも。そうした感謝の気持ちがあるからこそ、決して村を捨てずにIターンしてくる人も少なくありません。
そんな村人たちのくらしを、1000年以上も見守り続けてきた湧水。そして村のシンボルとでもいうべき大峰山。これまでもこれからも、多くの行者たちをやさしく迎え入れることができるのも、人と接することの大切さが身に沁みているからに違いありません。
水という大きな大きな存在感。自然からの恵み。悪いことがあっても嫌なことが起きても、「みんな水に流せばいい」。。。なんていうのが洞川気質だったりなんかして(笑)