今春、いよいよ平成から新年号へ。またひとつ時代が変わろうとしている今、金魚のまち・奈良県大和郡山市でも世代交代のウワサがチラホラと。本当のところは一体どうなのか。後を継ぐのか継がないのか。というわけで、この機会に本音をズバリ聞いてみようと二世諸君に集まってもらいました。ん?まだまだセガレになんか任せられないって?まあまあそう仰らずに(笑)、若い人たちの本音に耳を傾けてみようじゃありませんか。(文中敬称略)
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◆時効成立した金魚釣り堀事件
――今養魚場といわれるところはいくつくらい?
東川 組合に加入しているのは30軒未満といったところですかね。加入していないところを入れたらもっとあるんでしょうけど。
西脇 一番多かったのは戦後すぐのころで、80軒くらいは軽くあったそうです。
――そんなにたくさん。
東川 市内の至るところに金魚池があったそうですが、やっぱり景気が影響する業界ですからね。趣味としての関心が薄れてくれば、養魚場も減らざるを得ません。何より、後継者がいないと致命的ですからね。
大倉 (養魚場としては)東川さんところが一番古いんですよね。
東川 私で5代目。しかも生産一本。初代は武士で、金魚の生産も兼ねてたらしいよ。
――おお武士とは。
武士といってもいわゆる下級武士で、当時は小遣いかせぎで金魚をつくって売ってたらしいです。上の階級の武士はいくらでも金魚を買ってくれたそうです。それがうちの始まりです。
西脇 金魚の始まりは武士とお城。大和郡山城があったから、こうやって金魚を扱うところが増えていったんやなあ。
大倉 うちは来年創業50周年です。看板を上げた当時は鯉専門の養魚場やったんですが、その後金魚も扱うようになって、しかも生産も卸も小売りもしています。(時計をみて)あ、すんません、12時になったら(店に)戻らなあきませんねん。
――なんでまた?
大倉 親父がね、帰ってこいってうるさいんですよ~(笑)。今実質2人で切り盛りしてるので、バタバタです。特に休みの日は釣り堀のお客さんが多いので。
――え、釣り堀?
大倉 そうなんですよ、金魚釣りもやってるんです。和金の大きいやつを使ってます。
――へ~、初めて聞いた。もしかして大和郡山では唯一の金魚釣り堀?何人くらい入れる?屋外?室内?
大倉 釣りができるのは30人くらいで、カップルや家族連れも多いので、びっしり入ったらい100人くらいになりますよ。もちろん室内なので快適です!地元では有名ですよ(笑)
西脇 小学生のころ、毎日のように釣り堀に行ってたで!小さいころから魚が好きやったから、大和川か大倉さんところのの釣り堀に行っててん。1回行ったら何時間おっからわからんくらい(笑)
大倉 マジっすか。それはそれはご幼少のころからのご愛顧ありがとうございます!
西脇 エサ用にグルテン(小麦粉)こそっと持ち込んで行ったこともあるけど(笑)
大倉 あきませんやん!それって反則ですやん(笑)。まあもう時効にしときましょ。
東川 金魚に関して大倉さんところはオールマイティーなので、お客さんとの接点も一番多いと思いますよ。
大倉 東西に車がよく通る道路に面してますし駐車場もちゃんとあって、立地的にもいいんです。
東川 だから前から言うてるやん、家の壁ぶち抜いて3メートルくらいの水槽つくってビルトインしろって(笑)。目立つしお客さんもっとくるで。夜にはライトアップも。大和郡山に「金魚水族館」の誕生や(笑)
――賛成!オリジナル水槽のご用命はぜひKOTOBUKIに(笑)
◆もしもの時の覚悟も二世の準備
西脇 立地という点では、わかりにくくて行きにくい養魚場が多いのも特徴ですかね。
東川 道は狭いし入り組んでるし、周りは田んぼばっかりやし(笑)
――今日タクシーでここへくる時も、ドライバーさんに「やまと錦魚園」って告げたら一瞬固まって、「ああ、金魚資料館のことですね」と言われて一件落着(笑)
西脇 金魚資料館がよく知られているのは、観光にくる人が増えたからやと思います。なので、何とかしないといけないなと思ってるんです。「どうやって行けるの?って電話で問い合わせてこられる人が増えてきてるんです。そのために、動画をつくろうと思ってて。車でこられる人を目的に。なあなあ、頼むで(笑)
嶋田 え?ぼくがやるんですか?マジっすか(笑)?やりますやります。やっぱりドライブレコーダーで撮るのがわかりやすくてええですかね。
西脇 あおり運転の証拠やあるまいし(笑)。動画ができたら、SNSにアップしたりホームページにも載せようと思ってるんです。
――そんな工夫は確かに必要。いくら金魚のまちと謳っても、観光客を迎える体制をちゃんと整えておかないと。特に金魚資料館は、金魚の歴史がよくわかるいい施設。
嶋田 資料館は、うちのおじいちゃんの思い入れがこもってるんです。初代です。屋外展示の水槽の下にも、昔の金魚売りの道具とかが置いてあって、初めてきはった人はとっても珍しがってはります。
西脇 血のつながりのない人間が言うのもなんですが、初代(嶋田正治さん)はある日突然亡くなったんです。ほんまに突然。で、急に現社長の嶋田にお鉢が回ってきた。当時は大変やったみたいですよ。なので、ここにいるみんなもまだ親父が元気やからと油断せんほうがええんですよね。
――それはよくわかる。いつか代替わりの時期もくるから準備しておくに越したことはない。
東川 うちは高齢になってきたから、代替わりの準備はしっかりやってます。大倉さんところも嶋田さんところも法人組織やから、いざとなった場合マジで大変やで。
嶋田 うちの親父はまだ元気やから(笑)
西脇 そんなもんわかるかいな(笑)。危機感は持っとかなあかん。
大倉 この中では一番若いからまだピンときてませんが、今から準備しておいたほうがいいですよね。そういうのも後継ぎとしての仕事ですからね。今日帰ったら早速話しとこ(笑)
嶋田 そういえば、親父と声ソックリになってきたなあ(笑)。バイクの乗り方まで似てるし。
大倉 人のこと言われへんでしょ(笑)。まあでも電話の声は確かによく似てるって取引先の人からもよく言われます。
――もしかしたら、周りからそういう声が聞こえ始めた時が代替わりを意識し出すタイミングかも。
嶋田 みなさん自分のことは自分ではなかなかわからないもんですね~。
全員 お前が言うな(笑)!
◆「後継者問題」につまづかなかった理由
――みんなてっきり地元の高校だと思ってた。
全員 あそこ(大和郡山高校)は絶対無理っ!偏差値が高すぎるっ(笑)!ほくらが行けると思いますか(笑)?
――この仕事を継ごうと最初から思ってた?
東川 もう子どものころから洗脳されてますから(笑)。
――ほかの仕事をしたいと思ったことは?
東川 いやあ、考えたこともありませんでしたね。生まれた時からそこに金魚池があって、そこで親父が仕事をしていて。暗黙の了解というか、自然に刷り込まれてました。
嶋田 自分もそうです。何とも思ってませんでした。東川さんが言われたように、自然に身についてました。それがええのか悪いのかようわからんけど(笑)
――後を継ぐのは嫌だったという人が一人くらいもいると思ってたので、これはちょっと意外。
大倉 自動車を専攻する大学を出た時に、一瞬迷ったことはありました。車やバイクが趣味だったので、そっちの分野に行ってみてもええかなあ、と。
――で?
大倉 もちろんソッコーで親父に相談しました。そしたら、「趣味を仕事にするのはしんどいことやんやぞ」って一言。まだ学生で世間のこともわかってなかったので、それで吹っ切れました。
――みんな意外というか素直というか、金魚を扱う仕事って超ハードで大変だと思うのに自分のポジションを見失わないでいる。
東川 子どものころから当たり前のように金魚に接していたから、特に抵抗がなかったんでしょうね。もっと言えば、後継者問題につまづかなっかたらこうしてやってこれたといえるのでしょう。そういう点では、親がいい環境を与えてくれてたんだと思います。しんどそうな仕事やな~と思ってたら、ぼくらも継いでなかったかも知れませんし(笑)
西脇 自分の場合は、魚が好きで仕方なかったからこの仕事に就きました。はい、趣味を仕事にしてしまいました(笑)
――意志が強すぎる(笑)。
西脇 大和郡山から出たことがありませんし、出たいとも思ったことがありません。会社を辞めようとか、ほかの仕事をしたいとか思ったこともありません。二世と違うのは、当たり前の環境ではなく、好きな環境にいられるという点でしょうね。
――そして唯一、親子の成長をそばで18年も見続けてきた生き証人(笑)
嶋田 小学生のころ、よくキャッチボールの相手をしてくれました。
西脇 そうそう、仕事が終わって日も暮れ始めてるのに、まだやろうやろうとしつこかった(笑)。ぼくが18のころで、彼はまだ小学生の低学年でした。何か日課みたいになってました(笑)
――個性的な親子の間で仕事はやりにくくなかったと?
西脇 ほとんど意識したことはありませんでしたよ。親子は親子であって、自分は社員でしたから。ただ、木曜日は今も大変です。木曜日の朝は出荷もあり一番忙しい時間帯なんです。手を動かしながらも二人の会話が耳に入ってくるんですが、聞こえてくる会話がまったく意味不明なことが多くて(笑)。時間のない中でそれぞれの段取りも違うんだと思いますが、お互いがイライラし始めるとかなりヤバい(笑)。でもそれも親子の会話だと割り切れば何ということはありません。いちいち気にしてたら仕事になりませんしね。
大倉 でもそういう時の西脇さんには声かけれませ~ん(笑)。ピリピリしてはるのがわかりますもん。
東川 他人だからこそ冷静に判断できることはあると思いますよ。そういう点では、彼がいてくれてよかったんです。おかげでこちらも助かってます。周りのみんなが認めてます。初めて会った10代の時は、なんやこいつと思うくらいめっちゃ尖ってましたけどね(笑)
◆代替わりのタイミング
――大学を卒業して、神奈川の金魚卸の会社で働いてたこともあったとか?
嶋田 大学卒業後の就職先でした。神奈川が本社やったんですが、新潟にも行かされました。結構忙しかったなあ。
――このメンバー中、唯一ほかのところでメシを食ってきた。
西脇 今思えば(やまと錦魚園と)同じ卸ではなく、生産の会社に行ったほうがよかったかも知れません。そうすれば、もっと業界の流れを理解できたでしょう、金魚のニーズも身についたと思います。
嶋田 ふわっとしたまま成長せんと帰ってきたとよく言われます(笑)
西脇 最近は中国の金魚を扱うようになったことで忙しさも増し、彼をみていると配達の回数も増えたしあちこちで開催される即売会を任されるようにもなり、しっかりしてきたなあと思ってます。あの粘り強さはまさに嶋田社長譲りです(笑)。あともう一歩、さらに一皮むけてくれたらなあと願っています。
東川 彼は嫌な顔ひとつしないで黙々と仕事をするタイプ。いいところもある。なので、社長も徐々に仕事を任すようになっていくんちゃうかな。今までは全部自分で仕事をしてしまうタイプの社長やけど、息子に任せてみたら案外スッとうまくいくかも知れない。親子やからこそできることってきっとあると思う。阿吽の呼吸みたいな。
――1年半の修業から帰ってきた息子を、小言ひとついわず迎え入れた時の度量同様期待したい。
東川 とはいえ、自分の場合はこうやろうと思ってるのに横からチャチャ入れられたら、めっちゃ腹立ちますけどね(笑)。こないだ任せるっていうたやん、みたいな(笑)
大倉 身内から言われたクレームやから腹が立つのか、客観的にみても間違ってる指摘やから冷静にならなあかんのか、時々ごっちゃになりますよね。ただ、店でいくら揉めごとがあっても、家に帰ったら普通に戻れてます。
西脇 親子やから割り切れることもあり、親子やから割り切れないこともあるんでしょう。二世も立派な大人になった今、微妙な時期に差しかかっているのかも知れません。
――親にもう引退してくれてもええよって言える人は?
全員 無理っ(笑)!
東川 結局みんな親の実力を認めてるんでしょう。だからこそ二世としてのプレッシャーがある。ましてや自分がどう評価されているのか、親はダイレクトには言いません。それは周りが評価することなんやといわんばかりに。そういう点では、こういう機会を通じて親のことを改めて認めつつ、これから自分がどうあるべきかを考えることが必要です。それは間違いありません。
西脇 これからの時代を引っ張っていくのは君らやからね、ほんまに。先代のことはあまり気にしないで、自分たちのやり方でやっていけばええと思う。
大倉 やりたいことがあるんです。それは、Googleのレビューで星4つになることなんです。幸いうちはお客さんに近い態の店なので、つくる・売る・遊ぶの三拍子を生かしたいと思ってます。目標は、奈良で金魚といえば大倉養鯉場といわれるくらいになりたいんです!ちょっとデカすぎますかね(笑)
西脇 いや、ええと思うよ。文書にざっとまとめて一度社長に見せたらいい。
――おうかがいを立てるのではなく、ぼくはこうやりますよ的な感じで。これからは金魚業界も、若い人たちが智恵を絞ってどんどん提案していく時代なので。
大倉 はい、頑張ってみます!
東川 家の壁ぶち抜いて水槽つくる案もちゃんと書いときや(笑)
◆走れ!ジュニアモーターカー
東川 うちはこれからも生産一本でいくつもりです。その伝統は守っていきます。でも世の中のニーズは知りたい。だから嶋田君、即売会でお店に遠征する時は、今市場で何が売れてるのか、あるいはどんな魚をお客さんが欲しがっているのか、別に金魚だけにこだわらなくてもいいので、せっかくの機会に色々聞いてみるのも必要やと思うよ。
嶋田 そうですね。最近はかなり近畿一円あちこち足を伸ばしてますし、ただ金魚を売ってくるだけではなく、お客さんやお店の人たちを通じてそんなこともしていけるよう努力します。野球と柔道で鍛えた体力がありますから(笑)。
西脇 そうすればきっと人見知りのクセも治る(笑)
――こうしてみんなが交流し始めて何年くらい?
西脇 まだ2~3年くらいやと思います。意外とまだ短いでしょ?
――確かに。でも年齢のことを考えると、大倉君なんかはついこの間まで大学生だったわけだし無理もない。
東川 二世としてようやくスタートラインに立った感じですね。でもだからといって、2人には楽観して欲しくない。後継者としての覚悟を決めたからには、やるべきことはいっぱいあります。そのために、先輩二世として色々アドバイスしていきたいと思っています。
西脇 昔は一匹狼の人も多かったけど、おかげでまとまりもよくなってきた。先輩の人たちを頼っても体が動かない(笑)。金儲けにならなくてもやらないといけない時もある。やるしかないね。
東川 大和郡山市が金魚のまちとPRしてくれてるのはありがたいけど、それだけに頼っててもダメですしね。こうして若い人たちが一人立ちし始めてきたのを契機に、今まで思いつかなかった色々なことをやっていかなくては。
――ところでリニアモーターカーに関してどのようなリアル感を?市役所に模型が置いてあったりで、ずいぶん盛り上がっているような気がする。
大倉 開通するとしたら2027年ですよね。ん~、そのころまで生きてるかな~(笑)
嶋田 まだ生きてるに決まってるやろ(笑)!
東川 いや~、もしこの辺を通るとなると地価もドンと値上がりして、とんでもない活力になるでしょうね。実現するかしないかは別にして、やっぱり楽しみです。
西脇 田んぼもすっかりなくなって、まちの表情は一変するでしょう。すっごく観光客が押しかけてきたりなんかして。それがいいのかどうかわかりませんが(笑)
大倉 ほんま楽しみやなあ。
嶋田 想像しただけでわくわくする。
――親の敷いたレールの上をいつまでも走っているのではなく、そろそろ自分なりのレールで。二世はまさにリニアみたいな存在かも。次世代をもっと速くもっと合理的に。リニアモーターカーならぬジュニアモーターカー。8年後にリニアが開通した時には、さらなる成長を遂げた諸君と会おう!
※最後に
大和郡山市で開催される金魚すくい大会や金魚メッセ、あるいは金魚即売会など金魚関連のイベントでたびたび顔を合わせている今回のメンツ。いつも断片的な立ち話で終わっていたこともあり、ふと思いついたのが「みんなを集めて喋らせたらどうなるだろう?」という無謀な企画(笑)。かくして小雪がぱらつく今冬一番の寒さの中、若手金魚男による熱い座談会が繰り広げられました。しかしながらここでは書けないアブナイ話やヤバすぎるネタもどっさり。かつてない難易度の高い取材となりました(笑)。今回の企画が大和郡山市の金魚産業発展の一助になれば幸いです。そして、座談会に出席してくれた二世たちのお父上でありそれぞれの養魚場の代表のかたがた、どうもありがとうございました。この場をかりてお礼申し上げます。