先祖代々瓦職人だったという野浪 浩さんの自宅は、かつては工房や窯まで存在し約1,800坪もの広大な敷地でした。近年は敷地の半分を売却しましたが、それでもまだ900坪(笑)。昭和の高度成長期には、カラーテレビ見たさに近所の人が野浪家に集まったという逸話も。かたや金魚の飼育環境も伝説レベルですが、金魚を生業としているわけではありません。大手鉄鋼メーカーで営業職として定年退職まで働きづめだった野浪さん。さぞかし毎日をのんびり送っているのだろうと思いきや、現役時代より忙しいかも知れない金魚レジェンドでした。
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◆マイホームよりキンギョ
え!これがご自宅?ウソでしょ?養魚場じゃないですか!!なーんて驚いてしまうそこのアナタ、無理もありません。薄々話には聞いていたのですが、まさかこれほどの規模だとは思ってもみませんでした。夢や幻では決してない、まぎれもない野浪さんの自宅の一角なんです。敷地はかつての半分になりましたが、23年前に畑や広い庭、そして金魚を飼育するためのスペースを差し引いた土地に、念願のマイホームを建てたそう。そう、マイホームより金魚が優先だったという(笑)
金魚の飼育スペースだけで200坪。プラ舟数は67個。さらに飼育に使用する水の総数量は23トンという、これだけをみても自宅における金魚飼育の環境としてはケタ外れなレベルであることがわかります。
こんなところに看板が。あれ?金魚は趣味だったはずでは?実はかつての仕事仲間がつくってくれたアイテムで、養魚場という表現はあくまでシャレの世界でした(笑)
まるで子ども用プールみたいな。ここでは水換え用の水が常時7トンもプールされています。
◆なるほど納得の水道代&電気代
気になるのは水道代。小市民にとってこれは絶対聞いとかないと(笑)。金魚用に使用する水は家庭用とは別のメーターを設置し、水道の検針時にはこちらの使用量を上水のみとして計測してもらう方法をとっています。このため、それ以前は1カ月約6万円だった水道代が約4万円にまで節約できたそうです。
また電気代に関しては、家の屋根に設置されたソーラーパネルで供給しているため、ほぼプラマイゼロ。これも意外でした。長年営業畑を歩んできた野浪さん、原価意識もハイレベルでした(笑)
幸いなことに、このあたりは水の質がいい土壌なのだそうです。水道水はアルカリ度も塩素も低めで、金魚飼育にはベストマッチ。金魚飼育者にとっては、願ったり叶ったりのアドバンテージ。
敷地には合計8台の防犯カメラが睨みを利かせています。かつてはアライグマやイタチ、マムシなどの動物の侵入もありましたが、設置のきっかけとなったのは水のホースをズタズタに切られるなどの悪質ないたずらが何度かあったこと。もちろん人間の仕業で、その後の被害はなかったそうです。敷地内は高い塀で囲まれているわけでもなく、信頼関係で成り立っているとてもバリアフリーな「開かれた邸宅」なんです(笑)
◆命の尊さを享受する近所づきあい
「今は毎日が日曜日なんです(笑)」と笑う野浪さん。昭和の銀幕スターのような雰囲気さえ漂わせ、話し方も至って紳士的で何でも話してくれます。え、そんなこと言っちゃっていいんですか?とこちらが引いてしまう会話も多々(笑)。曰く、あまり人間関係を広げていかないようにしているのだとか。「欲がないからなんでしょうね。いいものをつくって高く売ろうなんてハナから考えていません。あくまで趣味として楽しんでいるだけですから。師と仰ぐ人もいませんし、多くの人としがらみが生まれると何かと忖度しないといけないこともありますしね(笑)」。金魚ライフは至ってストイック。そうそう、人と人とが接触する密はよくないですから(笑)
――金魚との出会いは?
「結婚後すぐアパートに住んでいたんですが、何気なく立ち寄った近所のホームセンターで金魚と出会ったのがきっかけです。金魚なら飼えると思って始めたものの、気がつくと水槽が8個も増えてしまいました(笑)」
――奥様は何と?
「最高のブレーンですよ。他府県の養魚場に出かける時も必ず一緒でしたし、結構高価な金魚を買うのも反対はされなかったです。今もよき理解者です」
――現在の場所に移って本格的に?
「そうですね。アパートはさすがに手狭になってしまったので。逆に言えば、広い場所がありすぎたからどんどん増えていって今に至る、かも知れませんね(笑)」
――サラリーマン生活と金魚の飼育と両立が大変だったのでは?
「好きなことですからね(笑)。苦にはなりませんでした。週に何度も東京へ出張することもありましたが、金魚のエサとなるミジンコを近くの川へ採りに行くために朝3時に起きるのも平気でした」
――子どものころから魚には興味があった?
「川小僧でした(笑)。雲出川にはアユやオイカワがたくさんいたので、それを親父がつくってくれた木製の水槽に入れて飼っていたこともありました」
――お父様も魚好き?
「親父の戦友が弥富で養魚場をしていたんです。その関係もあって、子どものころからよく連れてもらっていたのも大きな刺激になったんだと思います」
――ジャンボ獅子頭が特にお気に入りだと?
「金魚の世界はらんちゅうに始まりらんちゅうに終わるといわれていますが、私の場合は九州産のジャンボ獅子頭にとりつかれました。順調に成長すれば40センチにもなり、重さも2キロ近くになります。しかも至って丈夫で初心者でも楽しめるんです。そんなオランダ獅子頭が水の中をゆうゆうと泳ぐ姿が、とっても好きなんです」
――金魚以外に飼育の経験は?
「もちろんあります。一般的な熱帯魚のほか、アロワナを飼っていたこともあります。でもアロワナはちょっと言いにくいけど、うーーーーんという感じでした(笑)。いい魚なんですけどね、やっぱり金魚のほうが奥深くて好きですね」
週に1度、奥様と一緒に弥富に足を運ぶのが野浪さんの金活。自分の目の肥やしにしたり、気に入ったものがあったら買ってきたり。このほか、夏になると自宅の敷地内で近所の子どもたちを集めて金魚釣りを無料で行ったりして、野浪さんに刺激されて本格的に金魚飼育を始めた近所の人たちも少なくありません。ポイントは「飼えなくなったら返しにきてもいいですよ」という点。たくさんの金魚に寄り添い、近所づきあいを大切にしているのは、命の尊さを享受しているからなのでしょう。
◆小市民の素朴な疑問
それでは早速、野浪さんの金魚コレクションを拝見させていただきましょう。何しろプラ舟が67個。全部見せてもらっていたら夜が明けてしまいます(笑)。野浪さん、どうかお手柔らかにお願いしますね。
その前に、取材に伺った時の飼育数を徹底調査(笑)。ジャンボ獅子頭は2~4歳までが203匹、日本オランダ獅子頭95匹、ブラックドラゴン38匹、その他10匹、ハイブリッド(ジャンボ獅子頭と日本オランダ獅子頭のハイブリッド種)20匹の合計366匹。さらにジャンボオランダや日本オランダなどの新仔が約10,000匹以上。もう圧倒されるしかありません。しかも野浪さん、だいたいの数をすでに把握しているところもすごい。「いやあ、毎日接していたら覚えてしまいますよ(笑)」
3歳のジャンボ獅子頭のオス。2〜3歳で通常より多くのエサを与えると一気に大きくなるのだとか。野浪さん曰く、「体が大きく体高のあるメスを、優先かつ緊張感を持って育てています」。ここはオスばかりのプラ舟なので、上質のメスが生まれることに期待しましょう。ところでショップではどのくらいで売られているんでしょうか。「だいたい3万円くらいかな」。おお~すごい。オランダ系は丈夫で飼いやすくて長生きする品種なので、それを考えると驚くほど高価ではないのかも知れません。
種用のメスも見せてもらいました。メスの手(手とは胸ビレの意味)は丸く、オスの手は長いのが特徴なのだそうです。手のかたちでオスメスの区別ができるのは、オランダ系の親魚にのみ見られる特徴だということも、今回初めて知りました。
7歳のオス。7歳といえば、人間でいうとかなりの高齢。知る人ぞ知る伝説のジャンボ獅子頭ハナ子。その直系は1匹5,000円もすると言われていますが、野浪さんのところいるこの金魚もハナ子の血統。体高があり見栄えがします。毎年弥富で開催される金魚日本一大会で3位になったこともあります。栄光からの引退。今はここで静かに余生をすごしています。
素赤のオス。首のところが太いのは、これから大きくなる証拠だそう。この金魚から生まれる子どももきっと期待が持てます。頭の真ん中が、窓が開いたような白く抜けている様子を「大窓」ということも今回初めて知りました。もう知らないことだらけでパニック状態(笑)
これが噂のハイブリッド(4歳オス)。日本オランダ獅子頭とジャンボ獅子頭とのハイブリッド仕様です。日本オランダ獅子頭(メス)からは頭と尾ビレの美しさを、ジャンボ獅子頭(オス)からは豪快な体を、それぞれ受け継いで生まれる体型はまさにいいとこ取り。これこそが繁殖の醍醐味といえるでしょう。野浪さん自慢のハイブリッド種です。
ハイブリッド種のイチオシは、何といってもこの黒い金魚。追星(オスとして成熟している小さな白いポツポツのような模様)が出ていて尾皿(尾ビレの張りを保つ役割のある尾の付け根の下にある鱗のこと)が大きく、尾もきれいに左右に開いています。こんなにきれいでかたちが崩れていないのは、なかなか珍しいです。尾皿が大きければ尾もきれいに開くという特徴も、今回実際に見せてもらって納得しました。ちなみに、もしこれがショップで売られているとしたら?「5万円くらいにはなるでしょうね」。ご、ご、5万円!すみません、またもや小市民的質問でした。愚問はこのくらいにしておきます(笑)
続いての紹介は日本オランダ獅子頭。中国から渡来したオランダ獅子頭が西日本や四国を中心に独自の世代を重ねてきた品種です。上見が美しく、オランダ獅子頭に比べると長手です。こちらの個体は3歳。オランダ獅子頭は色が変わっていくもので、普通はお腹から赤が上がってくるのだそうです。相場は黒なら1万円くらい、赤白なら2万円くらいだそう。
4歳のメス。種用です。ジャンボ獅子頭は体が大きくなるのが4歳以降。このころのメスは卵もたくさん抱えているため、繁殖に向いているそうです。時期的にそろそろお嫁入りの時期なのかも知れません。
2歳。昨年奈良県大和郡山市で開催された金魚セリ市で落札したものだそう。あー、その時は自分たちも取材に行っていたような記憶が(笑)。落札した時はまだ小さかったのに、1年近く経つと今ではこんなに大きくなりました。それもこれも、野浪さんの飼育がいい証拠です。
頭が黄色いのが特徴の黄頭(オス)。手が長く、手の骨がしっかりしているところがいい条件。尻尾のところに細かい筋がみられるのは、何と毛細血管。へー、これって毛細血管だったのですか!と今さら驚いてしまいました(笑)
オス。「尾の開きがあまりよくないんですが、模様がとっても気に入ってます。上から見て上品なところがバランスもいいと思います」。金魚やメダカは上見がいいとよくいわれますが、まさにその通り。うまく繁殖ができたら、きっと模様とバランスのよさが次世代に受け継がれていくのでしょう。「お気に入りなので1匹だけで大事に飼っているんですが、本当は1匹で飼うのはよくないんですけどね」。え、なぜですか?「エサの取り合いなどの競争相手がいないので、緊張感がなくて早くボケちゃうんです(笑)」へー、それは知らなかった。しいていえば、1匹だと孤独すぎて寂しいんだと思ってました(笑)
ブラックドラゴン29匹。種親。鈴木系東錦の黒個体であるブラックドラゴンは顔の頬の部分がふっくらしているのが特徴です。独特な顔立ちですが、じっくり見ていると可愛く思えてきます。この黒色は、黒い場所に入れていないと徐々に色が抜けてしまうというから不思議。確かメダカにもそういう特徴があると聞いたことがありますが、やはり保護色ということなのかも知れません。
先ほど紹介したブラックドラゴンよりも大きく育った次世代。育て方次第で体の大きさがずいぶん違ってくることの証明なのかも知れません。野浪さんは「さらにこの次の世代が楽しみです」と、将来性も念頭に置いた飼育を心がけています。
◆オランダ系以外も飼育する理由
ブリストル朱文金(3歳メス)。100点満点でいうと80点くらいの出来なのだそう。「オランダ系のようにメインではなく、ちょっとした遊び心で飼ってるんですよ(笑)」。と野浪さん。「同じ品種だけ飼育していると、集中しすぎて心身ともに疲れることが多いんです。そういう意味で、ちょっと違った品種の金魚を何品種か飼育すると息抜きにもなります」とリラックスをオランダ系以外に求める野浪さん。金魚に限ったことではありませんが、コレクターなら誰にもさわらせたくないお気に入りの一品とは別に、息抜きの意味でサブアイテムもいくつか所有していたい気持ちと同じですね(笑)。ブリストル特有のハートテールを大きく開かせるためには、しっかり食べさせないといけない。でも大きくなりすぎると尾が閉じてしまうというジレンマも。寿惠廣錦みたいに大変身したらいいですね(笑)
らんちゅう(3歳)。大和郡山の金魚セリ市で落札。果たしてどこまで大きくなるかトライアル中なのだそう。ブリストル同様、これもリラックスして飼育中。
稚魚のいるプラ舟の水換えは毎日行います。今使っている水温より3℃くらい低くても大丈夫なので、白点病にかかったことがないほど金魚も健康です。塩により治療をすることもありますが、塩慣れを防ぐためにもここぞという時しかしなくてすむのも、日頃から鍛えられた環境で育てられているからでしょう。ほかにもまだまだ紹介したいところなんですが、今日はこのくらいで。
◆高級金魚にやさしい特注網
金魚飼育に関わる多くのツールが、自宅庭の手入れに欠かせない園芸用機械や工具に混じって格納されています。金魚ピットとでもいうべきスペース。
ピット外のプラ舟にいるのは、現在療養中の金魚たち。元気になったらまた1軍へ復帰する予定(笑)
これは一体?と思いきや、自動ブラインシュリンプ孵化機でした。これも初見参。システマチックなマシンで、水道の蛇口のようにコックをひねるだけでOKというスグレモノです。
昆虫採集に出かけようとする野浪さん。そんなわけないない(笑)。もちろん特注仕様。体の大きなジャンボ獅子頭の移動のために、目が細かくガーゼのような繊細な生地を使って体に傷がつかないよう配慮されています。また、金魚がはねたり飛び出したりしないよう深さも微妙な調整が施されています。
お、KOTOBUKIの60センチ水槽が何気に。もう引退した水槽なんでしょうね(笑)。「いえいえ、これは品評会に出品する時に金魚を撮影するためのステージなんです」。なるほど、そういう使い方もあるとは想像もつきませんでした。
◆もっと広めたいジャンボ獅子頭
全国に名だたる品評会では輝かしい受賞歴が。「以前、ジャンボ獅子頭の本場ともいうべき熊本から飼育環境を見てもらったことがあるんです。飼い方がいいとほめてくださって、本格的に繁殖しようと思ったきっかけになりました」。
玄関先の水槽には、ショートテール琉金2匹とらんちゅう1匹。エサをしっかり与えたらどんなふうに育っていくか実験中。ちなみに水温が低い季節には転覆病にかかりやすいので、屋外の飼育水の温度が上がるまでは屋内で飼育し、暖かくなったらいよいよ屋外デビューだそうです。きっと今ごろは、外のプラ舟でゆうゆうと泳いでいることでしょう。
目標は、金魚日本一大会で親魚の部で総合日本一大賞を獲ること。「勝つためではなく、あくまでジャンボ獅子頭のよさを広めたいから。そのためには、ハイブリッド種で親魚のオランダ獅子頭部門1位を目指さないといけません。賞を獲れたら?そうですね、もう少し規模を小さくしてのんびり飼いたいです」。たぶんそんな性格ではないと思いますけど(笑)
親世代から次世代へ。どんな特徴が受け継がれていくのかをいつも念頭に置いて飼育にあたっている野浪さん。だからこそ、現時点の尾のかたちや体色にはあまりこだわりはありません。エサのやり方や飼育環境など、どうすれば好みのかたちに仕上がってくれるのかはあくまで自分で考えるという独自のベクトル。師と仰ぐ人がいない野浪さんですが、さまざまな失敗を繰り返して金魚飼育の難しさを嫌というほど知っているからこそ、自らの手で育てる楽しみ=生きがいにつながっているに違いありません。
中国から日本に渡来した琉金に混じってやってきたといわれるオランダ獅子頭。日本ではそれぞれかたちを変え、日本オランダ獅子頭やジャンボ獅子頭などへと改良継承されて現在まで受け継がれています。そして野浪さんはそれらの2品種のいいところをとって新たなる品種にチャレンジ中。「いやいや、ただオランダ系が好きなだけなんですよ(笑)」話す笑顔の向こうに、秘められた強い信念を見た気がしました。