住宅や工場・倉庫にまじって、ところどころに小さな田畑が残る大阪府大東市の一角。御領(ごりょう)と呼ばれるエリアに、風情のある水路が今も残されています。住宅街に突然現れる歴史遺産。まるでそこだけ時代が止まったような、タイムスリップスポット。多くのコイやメダカなどの生きものも生息し、地域の人々に親しまれています。
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◆町中でみつけたオアシス
JR学研都市線・住道駅近くで見つけた、ちょっとした観光案内。そこには、大東八景のひとつ・御領水路が紹介されています。「のどかな田園風景の昔がしのばれて懐かしい」と。では早速現地へ向かいましょう。
駅から歩くこと約30分。このあたりまでくると駅前のにぎやかな雰囲気と違って、落ち着いたまちなみが続いています。
ところどころに、昔ながらの大きな家屋も。地主さんでしょうか。
ここは大東市御領。かつての御領村は低湿地で、民家以外は田畑が一面に広がっていたようです。
目の前に御領橋が見えてきました。木製の欄干に描かれた筆文字が、この橋が単なる生活のためだけではないことを物語っています。
左右に広がるのが、御領せせらぎ水路。大きなイラストマップもあり、ここが身近な観光スポットであることがわかります。
上から見るとコイが数匹泳いでいます。
アカミミガメの姿も。コイにとってもアカミミガメにとっても、ここに天敵はいないようです。
ゆるやかにカーブを描いた水路がこの先まで続いています。少し向こうには、蔵のある民家があります。
御領橋の先に目をやってみると、古い民家の塀が長く続いています。
重要文化財として保存されているお寺や庄屋屋敷、さらには大阪都市景観建築賞を受賞した建物など、昔ながらの落ち着いた旧街道のようなたたずまい。かつて田畑が広がっていた村のくらしを垣間見ることができました。
◆水とうまく付き合ってきた「段倉」
今きた道を戻って、再び御領橋へ。するとこんな素敵な景観に遭遇。まるで滋賀県近江八幡の八幡堀を思わせるような風景が、ずっと奥のほうまで広がっていました。
早速下へおりてみると、目を引くのは2つの行灯。民家の排水個所を覆っているのでしょうか、昔ながらのシーンを復元した工夫がされています。
道と水路の間には無粋な防護柵などはありません。夜になると、道に埋め込まれた照明が点々と灯り、安全と景観の確保にひと役買っています。
水路に沿った蔵らしき建物の一部に、階段のようなものがあります。その昔、水路から運ばれてきた物資を直接建物内に運び込めるようにした物資専用の搬入口でした。
橋に近い建物をよく見ると、それぞれの蔵らしき建物の高さが違います。これらは「段倉」と呼ばれるもので、大水や洪水などから守るためにつくられたものでした。あえて段差を設け、一番高い場所はいざという時の避難所としてだけでなく、生活で一番大事な米などを貯蔵していたようです。
水路からはずれた別のところにも、段倉の跡が部分的に残っています。現在は下水道が道路下に整備されていますが、ここも昔は水路のひとつだったに違いありません。
案内板にも説明が書かれていますが、もしかしたら向こうに見えるひときわ高い蔵も、その名残りかも知れません。かつて御領村と呼ばれていたころにはいくつもの段倉があり、水と付き合ってきた工夫の象徴として現存しています。
川から物資を?そうなんです、かつて縦横に張りめぐらされた水路には、農作物を運ぶための三枚板といわれる小舟が使用されていたのです。水路を眺めていると、今にも小舟がゆるりゆるりと通ってきそうな雰囲気が漂っています。
農業がさかんだった昔に比べ、使われなくなった水路はほとんど姿を消していきました。唯一残された水路の環境も、水質が徐々に悪化。事態を憂慮した地元の人たちが声をあげ環境整備が行われ、その後水質も徐々に改善。平成8年、晴れて御領せせらぎ水路として蘇ったのです。
居心地がいいのでしょうか、メダカらしき魚がたくさんいます。
ここにもあそこにも。
かつての昔を再現した船乗り体験が、毎年9月まで行われています。舟が格納された施設の手前には乗り場もあります。今年はコロナ禍でほとんど運航ができずシーズンを終えましたが、わずか10分足らずの船旅はきっと風情たっぷりだったことでしょう。
◆小舟が航行していた水路
水路の少し先にある船乗り体験の降り場も、見ようによっては舟から荷物を下ろす船着場にもみえます。それにしても、江戸時代に通航していた小舟は一体どんなものを運んでいたのでしょうか。
少し上流のほうへ行ってみます。このあたりはコイが10数匹生息中。エサが目的なのでしょうか、多くのコイが人馴れした様子で寄ってきます。
「川で遊ばないで」「コイにエサをやらないで」ではなく、あるのは「コイをいじめないで」のメッセージ。地元の人にとっては、コイと共存している意識がどこよりも強いからなのでしょう。
どのコイも体格がいいのは、そんな恩恵を受けているからかも知れません。
この付近は睡蓮が咲くゾーン。あいにく旬は過ぎてしまいましたが、つい少し前まではきれいな花をたくさん咲かせていたそうです。
さきほどとは少し趣が変わります。ここから先は木道のあるせせらぎ遊歩道。道幅は狭いものの、歩きやすい構造です。
ここにもメダカがたくさんいます。環境保全のために整備されたせせらぎ水路は、生きものにもやさしい住環境を実現させました。正確に数えたわけではないのですが、全長約300mの水路には100匹以上のメダカがいると思われます。メダカがこれだけたくさんいると、ボウフラの発生も抑えられているかも知れません。
上流地点に到着。ポンプによって汲み上げられた下水処理水は、さらさらとせせらぎサウンドを醸し出しています。
◆時は蓮根の季節
せせらぎ水路の旅はここまで。この先も、かつては農業用の水路がずっと続いていました。
そして、舟が運んでいたのは、そのほとんどが蓮根でした。いわば「蓮根舟」。大東蓮根、門真蓮根などそれぞれ呼称があるものの、大正末期から昭和40年ごろまで蓮根づくりが盛んだったようです。
水路同様、蓮根畑もこのあたりではすっかり見かけなくなり、時代の変化とともに住宅地へと様変わりしていったのです。あたり一面が田んぼや蓮根畑だった御領村。実り多き村は、きっと裕福だったことでしょう。
蓮根づくりが華やかなりしころ、蓮根をいっぱい乗せた小舟が水路を行き来していたとは意外でした。
さらに言えば、最初に遭遇した大きな屋敷の数々は、蓮根づくりに恩恵を受けた「蓮根御殿」だったのかも知れません。
かつて蓮根を運んでいた水路は、今や生きものたちの格好の棲み家になりました。もちろんここで暮らす人々にとっての憩いのオアシスでもあることに違いありません。
時あたかも蓮根の季節。かつてあった広大な蓮根畑に思いを馳せていると、急に蓮根が食べたくなりました。