外国人観光客の増加で、今や世界的観光地となった京都・嵐山。
その景観はあまりにも美しく、一年を通してそれぞれの季節美を演出しています。
平安時代から貴族の間で愛でられていた嵐山。
京都を代表する美しい川で楽しんだ舟遊びも、そんな昔から始まっていたようです。
美しい景観には、美しい水がつきもの。
平安時代から始まっていた舟遊びは、今もかたちを変えて受け継がれています。
◆舟遊びの起源は平安時代
迫りくる山々、清らかな川の流れ。そして、それらを楽しむ人々。観光地としてはあまりにも有名な京都・嵐山には、連日多くの観光客でにぎわっています。2013年には、局地的な豪雨に見舞われましたが、今ではすっかり復旧を果たしました。
ちなみに「嵐山」という地名の由来は、地名であるという説(日本書記などに登場する「荒子山」から)、叙情的なものからきたという説(山桜や紅葉を吹き散らす「嵐)から)など、さまざまです。このあたりはよく「嵯峨野」といわれることがありますが、JR山陰本線をはさんで北が嵯峨野、南側が嵐山、と区別するのが一般的だといわれています。
そんな嵐山ですが、平安時代から観光地として貴族たちの心を癒す「遊び場」でもあったといわれています。その名残りというわけではありませんが、川を遊び場とする風情が今なお受け継がれています。
阪急・嵐山駅から歩いてくると、まず目に飛び込んでくるのがこの光景。思わず足を止めてしまいたくなります。嵐山へやってきた、という実感でテンションが上がる瞬間でもあります。早速カメラを出して記念撮影をする観光客が少なくありません。
嵐山といえば、まず思い出させるのが渡月橋。嵐山の観光を代表するランドマークであり、今から1,000年以上も前につくられたものだとか。現在も周辺の景観に合うよう欄干のみ景観に合うよう木造設計となっています。
さらさらと流れゆく桂川。上流の険しい渓谷美からは想像もできない下流のおだやかな流れは、万人の目を楽しませてくれています。日本人も外国人も。ぼんやりと流れをみているだけで、心まで癒されそうな、そんな風景がここにはあります。
渡月橋より手前の下流が桂川。反対に上流は「大堰(おおい)川」と称されています。ボートや屋形船で「舟遊び」をするシーンが観られる大堰川は、まさに嵐山の風物詩といえるでしょう。
渡月橋を渡り、さらに大堰川に沿って西へ。このあたりから観光客もぐんと少なくなってきます。この方向にあるのは、有名どころでは世界遺産・天龍寺や有名湯豆腐料理店、そしてさらにその先にある嵐山公園亀山地区になります。
◆意外なところにアクアリウム
ここが「舟遊び」の出発点。通常のボート遊びのほか、屋形船を借り切って上流約1キロの渓谷美が楽しめます。
うっかり見すごしてしまうところでしたが、川魚を飼育する水槽までありました。フナやカワエビ、ウグイなどが泳いでいます。おそらく大堰川でとれたものなんでしょう。アクアファンはぜひじっくり観賞してみてください。
大堰川に沿ってさらに西へ。観光客がさらに少なくなりますが、川側には舟遊びを楽しむ人たちの光景に、目を癒されます。
茶店も一軒。風情あるたたずまいをみせています。
大堰川の反対側に渡るには、手漕ぎのボートを利用します。こちらは自らがオールを漕いで向こう岸に渡るパターン。野趣あふれる仕組みです。
こちらは船頭さんが向こう岸まで連れていってくれるパターン。どちらも400円でちょっとした船旅が楽しめます。
ここが河川管理の分岐点。これまでが建設省、これより先は京都府になります。
春の暖かな日差しに包まれて、保津川下りを楽しんできた人たち。保津川の上流である亀岡をスタートした船は、ここ嵐山が終着点です。そういえば、去年の「キワメテ!水族館」では保津峡をご紹介しました。ぜひこちらもご覧ください。
保津川からラフティングで川を下ってきた人もいます。
「相方」がのんびりお昼寝をしている人も。こんな風景をみると、どこか山深い秘境のように思えます。まわりは、ぎいぎいとボートを漕ぐ音しか聞こえてきません。超有名観光地・嵐山にあって、こんなのどかな風景は意外中の意外です。
◆平安時代の貴族気分で
ここからは、嵐山公園亀山地区へ。ちょっとした軽いハイキングコースになっていて、整備された石段を登っていきます。
公園内には、小倉百人一首にちなんだ石碑があちらこちらに。平安時代、貴族たちは船遊びだけでなく「言葉遊び」にも興じていたのでしょう。そういえばこの先の山は「小倉山」。
場所はここではありませんが、世界遺産・天龍寺の近くには小倉百人一首の資料館「時雨殿」があります。興味のあるかたは訪ねてみてはいかがでしょうか。
嵐山公園亀山地区展望台を目指して、20分ほどで到着。ここからみる川の表情は、さきほどとは一変。渓谷美に圧倒されます。
古い地層によって育まれてきた様子も、ここからよくわかります。ちなみに、すぐ近くにみえる建物は、「船でしか行けない一流旅館」だそうです。
大堰川の切り立った岩肌に建つ建物は、大悲閣千光寺。江戸時代、大堰川を開削する工事で亡くなった人々を弔うために建てられた、まさに秘境のお寺です。
展望台の反対側からは京都市内中心部が望めます。小さいながら京都タワーもみえます。平安時代の人々は、渓谷美と京都中心部との両方の景色をここで堪能したのかもしれません。
小倉百人一首にちなむ小倉山頂上へは、さらにこの先を進みます。
かつて貴族の遊興のひとつだった「舟遊び」は、永き時代を経て今も嵐山の風物詩となっています。一年のうち、紅葉の時期が最も美しい景観を誇る嵐山ですが、新緑の季節も見応えがあります。
なぜ嵐山が景観美に優れているのか、それはほかならぬ山の傾斜がきついからにほかなりません。山の傾斜がきついからこそ、桜も紅葉も新緑も立体的に私たちの目を楽しませ、迫力ある季節美を演出してくれているのです。地形がもたらすその美しさは、平安時代から引き継がれているといっても,過言ではないでしょう。
美しいものを愛でる心は、今も昔も不変です。そしてそこには、必ずといっていいほど「水」が関係していることも、いうまでもありません。