KOTOBUKI創立50周年シリーズ第2弾☆
第1回目では、KOTOBUKIの歩んできた道のりを駆け足しで振り返ってみました。
今回から向こう3回は、商品カタログにみるKOTOBUKIの50年。
創立以後どんな商品が生まれたのか、どのような時代背景だったのかなどを検証し、
クローズアップして紹介します。
今から思えばあの懐かしい商品や、業界をアッといわせた商品などなど、
当時のカタログをひも解きながら振り返ってみたいと思います。
50年のうちにつくられた商品カタログの数々。
年代によっては、総合カタログではなく商品単体のパンフレットもあったりします。
今回のシリーズにあたっては、こうしたカタログやパンフレットをベースに構成しました。
なんせ古い資料なので、紙の表面がテカっていたりファイリングのためのパンチ穴があいてたり(笑)。
まあそれも味というか、50年の歴史というか。
多少お見苦しい画像もあるかと思いますが、どうかご容赦のほどを。
◆高度成長期に誕生した「特許シームレス水槽」
最初に出てきたのは、総合カタログ第1号。わずか全8ページ。しかもカラー印刷ではなく。表紙だけみていたら、まるで取説っぽい(笑)。よくみると「特許高級水槽」と描いてあります。おお~、このころからすでにパテントを取得する動きはあったのですね。すぐ下には、「寿」の文字とお魚の絵と。なんだかとってもおめでたくみえるんですけど~(笑)。
最初のページを開いてみました。「特許シームレス水槽」と表示してあります。すべて特殊なステンレスのプレス加工により、それぞれの面に継ぎ目がありません。創立前は冷蔵庫用ステンレスの加工会社だった瀬川製作所、当時の加工技術がそのまま水槽づくりに生かされていたんですね。
当時の水槽は、ステンレスでフレーム組みをつくって、ガラスとステンレス枠をパテで接着する仕組みでした。しかしながら強度的に弱点のあったパテはシリコンへ。同じように、ステンレス枠は樹脂素材へ、接着面の方法や材質も変わっていきました。
東京オリンピックの開催や新幹線の開通など、当時の日本の高度成長真っ只中にありました。そういえば、カラーテレビ・クーラー・カーのことを「3C」と呼称していました。また「巨人・大鵬・玉子焼き」と言われたのもこの時代です。古っ(笑)
◆ヨーロッパ諸国と大きな隔たりがあった80年代
1970年。日本では万博が開催され、高度成長真っ只中。このころ海外では、アクアはすでにインテリアの一部としてリビングの中心にありました。大きな木製家具の上に水槽が置かれた優雅な生活。それがヨーロッパでは当たり前の姿でした。日本のアクアのスタイルにも起爆剤がほしいと思わせるような70年代でもありました。
さて、総合カタログ第1号の誕生から時代は移って1980年代へ。海外では「トヨタが日本のモノづくりの代表」といわれていた時代にあって、KOTOBUKIでは大きな転機を迎えました。それは、ドイツやフランスなどヨーロッパの先進国では観賞魚はすでにインテリアとして定着していたからなんです。KOTOBUKIは、大きな衝撃を受けたそうです。
その影響を受けて、当時の総合カタログではこんなアピールを。キャッチもズバリ、「豪華絢爛」。日本もこれからはこうでなければ、というKOTOBUKIの思いが込められていました。
こちらのページでは、フランス人形までが演出道具として登場。いやいや、別に社長の趣味ではありません(笑)。それもこれも、アクアをインテリアとして位置づけようとしたい、大きなイメージ戦略だったんですね。およそアクアの商品カタログらしからぬテイスト。そこまでして水槽をインテリアとして売りたいというKOTOBUKIは、超本気だったのです。
当時の日本はといえば、相変わらず学校の教室に置かれた水槽に金魚やメダカが泳いでいたり、家の玄関の下駄箱の上に置かれていたり。まさか水槽を部屋の中に入れるなんて発想はまったくありませんでした。そういえば、部屋に洗面器を置いてザリガニやカメを飼ってるだけで、「家の中に入れたらアカン!」とオカンに叱られたような(笑)。今でこそ部屋で飼っているのが当たり前になっているわんちゃんだって、当時はほとんど犬小屋で飼われてましたからね~。そんな時代でした。
◆アトロシリーズの登場で業界に新たな旋風
「玄関からリビングのインテリアへ」。そんな思いがカタチになったのが、1989年に発売された「アトロシリーズ」でした。KOTOBUKIが満を持して発表した、当時としては珍しいインテリア性の高いシステム水槽。上部式フィルター・ライト・サーモとをトータルデザインコンセプトで集合化。これまでの金魚鉢という水槽のイメージにスタイリングデザインを加えて一新しました。特に、酸素とバクテリアのバランスを理想的に保つろ材3点をセットにした業界初のカートリッジ式フィルターは、その後のKOTOBUKIの上部式フィルターの主流ともなりました。デザイン・機能とも、当時としてはかなり斬新な設計で、業界に旋風を巻き起こしました。
総合カタログにも、イメージ戦略を徹底して打ち出しました。今の時代でも全然見劣りしませんよね~。インテリアとしてもめっちゃイケてます。こうしてアトロシリーズは、これまでのイメージを覆す魅力ある製品として、これからアクアリウムを始めたいという方々に受け入れられました。ヨーロッパで刺激を受けた初代瀬川社長が口にした「これからのアクアは下駄箱の上の金魚鉢ではなくインテリア商品でなければならない」という一言は、アクアという趣味の幅をさらに広げる革新的な出来事として、水槽イコールインテリアとしての一時代を築いていったのです。そして、「関西にKOTOBUKIという面白い会社がある」とささやかれ始めたのも、このころでした。
当時は、なんとショールームまで開設。販売は一切なし。あくまでもイメージを前面に押し出しました。もちろん業界初。当時業務提携の関係にあったドイツの企業との共同開発商品などを中心に展示し、これまた斬新な取り組みでした。
1989年の総合カタログ表紙。なんと爽やかな(笑)。そういえば当時は杉山清貴やTUBEなど、夏のバケーションを歌うシンガーやグループに人気が集まり、若者の間ではサーフィンが流行った時期でもありました。
創立から約20年。ステンレスプレス水槽からシリコン施工水槽、そしてシステム水槽の登場へ。水槽のスタイルが劇的に変わった20年間でもありました。
◆その後もインテリア性の高い水槽を続々
アトロシリーズの勢いは90年代に入っても衰えることはありませんでした。月9に代表されるようなトレンディードラマでもアクアが登場するなどして、時代は確実にアクアブームの追い風となりました。
1991年に登場した「パラドーム」は、前面ガラスに緩やかな丸みを持たせ、リビングにおけるおしゃれなツールとして登場。ラウンドガラスを使用した、当時としては画期的な商品でした。さらにいえばアトロのろ過システムとして既に確立したカートリッジ式の上部フィルターをさらに進化させたフィルターを導入するなど、水槽メーカーとしての技術がいかんなく発揮された商品として、一世を風靡しました。
当時の商品カタログは、まるでAV製品のテイストそのもの。商品コンセプトはなんと「AV機器を嫉妬させること」。ホンマでっか(笑)!?ネーミングは大画面のパノラマと丸みが融合したネーミング「パノラマドーム→パラドーム」になったそうです。東京ドームなど当時人気の高かったドーム型球場にあやかったものだったかどうだかは・・・(笑)。
な、な、なんと恐竜がドーンと登場したインパクトのある1991年の総合カタログ。なんでアクアに恐竜?なんて野暮なことは置いといて(笑)。このころ、あの「ジュラシック・パーク」の映画も上映され、空前の恐竜ブームを引き起こしました。
◆花博でも大活躍したパラドーム
大阪市で開催された「国際花と緑の博覧会」では、パラドームなど多数の水槽を提供。当時はメインパビリオンであり現在の「咲くやこの花館」には多くの水槽がズラリと。またアクアイベントの一貫として、社員による水草関連のセミナーも行われました。
◆テレビ番組への商品提供で広まる認知
このころ、テレビドラマでもアクアが登場するシーンが多くみられました。KOTOBUKIも、水槽を提供するケースもしばしば。これは某テレビ局のスタジオ。よくみると、セットの一部にパラドームが置かれています。こうした影響は、ますますアクアブームの後押しとなり、KOTOBUKIにとっても効果的な販促につながりました。
◆水槽以外の画期的な商品も
おお~、今ではロングセラーとしてすっかりおなじみの「P・CUT」が早くもこんな時代に登場していたとはオドロキでした。
このころ、水槽だけでなく観賞魚関連用品の開発にも着手。特にP・CUTは、フィルターにマットを通すだけでアオコなどの付着が短時間でクリアになるという画期的な商品でした。長時間水替えが不要で、汚れた水がわずか30分できれいになるというマジックのようなデモンストレーションも展示会場などで披露され、アクアユーザーから注目を集めました。
ちなみにこの商品、某大手家電メーカーとの共同開発によって生まれたものだということを知ってる人は、かなりマニアックな人たち(笑)。開発秘話にご興味のあるかたは、ぜひこちらをごらんください。
◆発想力が形になる!
「よそがやらんことをどんどんやっていこう」。アトロシリーズに加えて、前面ラウンドガラス水槽というユニークなパラドームが好調に販売台数を伸ばす一方で、KOTOBUKIの熱意はとどまることを知りませんでした。そして業界からの注目度もハンパではありませんでした。「KOTOBUKIがまた何か面白いものを出すに違いない」と高まる周囲からの期待。そしてアトロシリーズが発売されてから約10年後の90年代に入って、KOTOBUKIは決してそんな人々期待を裏切らなかったのです。
1993年のカタログに登場したのが、「オプティオ」でした。とても水槽とは思えないフォルムに釘づけ~(笑)。通称「1/4水槽」。水槽といえば四角という固定概念を覆した、画期的な商品でした。コーナー設置が可能で、ひとつの商品で90度のアクアビューが楽しめ、これを4つ組み合わせると360度のアクアビューに。まるでミニ水族館。ついにリビングルームに、ミニ水族館が登場したかのようなインパクトのある商品でした。
1993年の総合カタログ表紙では、「地球は水星です。」のキャッチフレーズとシーラカンスの写真を起用。壮大な自然への回帰がテーマでした。
◆180度の円形劇場あらわる!
さらにKOTOBUKIの快進撃は続きます。1995年に登場した半円形水槽「アリーナ」。これまでのオプティオが90度だったのに比べて、前面ガラスは180度のワイドビジョンにバージョンアップ。ワイドに迫り来る臨場感は、さながら海中そのものでどの角度からでもアクアビューが楽しめ、インテリアとしての要素をさらに高めました。
機能面では、アトロシリーズのカートリッジ式フィルターシステムをそのまま採用。また、このアリーナには今までにない全く新しい仕組みが組み込まれました。アクアリウムを楽しむ上で欠かせない日々のメンテナンス。水槽上部のライトユニットなどは、ぶっちゃけメンテナンス時の取り扱いに困る一面もありました。そこでアリーナでは、水槽上部のライトユニットをまるで車のボンネットのように開閉させたことにより、飛躍的にメンテナンスが行いやすくさせたのです。KOTOBUKIが創り出す商品にはデザイン面だけでなく機能面においても常に本気だったんですね。またしても業界をアッ!といわせたセンセーショナルな商品だったのです。
アリーナは、別名・円形劇場。当時、アクア専門誌の数回の予告広告では、商品そのものではなく、なんとイタリアのコロッセオの写真を使用し、これまた業界をアッといわせました。当時としては画期的なプロモーションだったようで、当時の雑誌広告を必死で探してみたのですが残念ながら残っていませんでした。あー、みたかった(笑)。いずれにしろ、自由にモノづくりができる社風が功を奏した結果でした。
もうひとつ、アリーナに関するエピソードを。当時の商品パンフレットに掲載されているのは、なんと人魚!なんという大胆な(笑)!モデルを起用したスタジオ撮影にたっぷりと時間を使い、勢いがこれにとどまることなく、ついにテレビCMまで制作したというからオドロキです。きっとお茶の間の話題をさらったであろうこのCMも、残念ながらマスターテープは残っていませんでした。いっそのこと、芸能人が探偵さんとして昔のものを探してくれるあるテレビ番組に応募してみるのもいいかもしれませんね(笑)
まさに創造期だった70~90年代。一部の趣味にすぎなかったアクアをインテリア商品として底上げを図ることに成功し、水槽メーカーとしての人気を不動のものにしました。
しかしながら、バブル崩壊後に日本全体に忍び寄る影は、アクア業界でも同じでした。大型水槽の需要が減り、水槽も次第にコンパクト化・省コスト化が求められるようになりました。
【つづく】