ここは大阪市のど真ん中。ここだけタイムスリップしたかのような昭和なたたずまい。安くて美味いと評判の立ち飲み居酒屋。その一方で、アクアリウムに意欲を燃やしているのが、店主・蔭山和宏さんです。宴たけなわの店の片隅に、なぜエンゼルフィッシュやディスカスたちがいるのでしょうか。話せば長くなることくらい、わかってるのに。年明け早々やりすぎ、、いやいや、新年にふさわしい充実の三部作でお楽しみください。
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◆本当にアクアリウムが?
オフィス街のような住宅街のような。大小のオフィスビルやタワマンが立ち並ぶ大阪市中央区の一角に、ひときわノスタルジックな明かりが灯っている場所があります。
こんな光景も、いかにも昭和チック。ひょいとのれんをかき分けると、中からいらっしゃ~いと威勢のいい声がはじけてきそうです。
幸か不幸かこの日は休日。そしてのれんをくぐると、本来ならジョッキ片手にわいわいがやがやのワンダーランド。見るからにエモーショナルな空間です。
オーダーはほぼセルフスタイル。ここでは勝手知ったる者だけがコンプリート。
ちなみに2階は鶏肉を使った焼肉コーナー。こちらは座席にて。木炭の中でも上質で火の粉が飛ばない菊炭の切炭を使っているので、お客さんも安心です。
はてさて。このエモーショナルな雰囲気の中、一体どこにアクアがあるのでしょう。グルメサイトにもアクアのことは出てこないので、まさかの誤報でないことを祈るばかりです。
◆あこがれはやっぱりディスカス
店主の蔭山和宏さんは、いまだかつてサラリーマンの経験がない飲食畑一筋人間。子どものころから、商売をしていた両親がつくる料理にふれる機会が多かったせいで、学校の授業でも料理をつくるのが得意だったそう。かつては移動販売車でカレーを販売したり、期間限定で上高地のリゾート施設で厨房を任されたり。結果、大阪天満橋の地下で念願の立ち飲み居酒屋を開業。苦戦を強いられた時期もありましたが、8年前にスペシャルな物件と出会いました。
何これ?発泡スチロールの切れ端には、何やら言葉が書かれています。切れ端は約10数個。「朝から準備してたんですよ。今日は何を喋ろうかなと(笑)」。え?いやいや、トークイベントじゃないんだから。取材のレジュメを用意してくれていたとは驚きでした。逆に、取材を楽しみにしていてくれたことがうれしくもありました。
――この本は?
「本なんかほとんど読まなかった子どものころ、どうしても欲しくて買ってもらったのがこの図鑑だったんです。ペットの飼い方がメインの本なんですが、魚、特にディスカスのところばかり食い入るように読んでました(笑)」※
――よほどディスカスが好きだったんですね。
「とにかくキレイでしょ?水槽を優雅に泳ぐ姿に魅了されて、子どものくせに欲しくてたまりませんでした。当時は熱帯魚の王様ともいわれ、まさにアクアバブルの賜物でしたよね」※
――でも子どもだとディスカスなんて買えません。
「そうなんですよ。だからやったんです、ディスカスを手に入れるために新聞配達を」
――思い立ったらまっすぐに突き進むタイプ?
「夢は強く願えば叶う(笑)!その精神は今も変わっていません」
――そしてついに水槽も。
「当時は大阪市内に両親と2人の姉とで5人で住んでいたんですが、5人が住むには狭すぎました。ところが、周りは大きな家ばかり。友達の家に行ったら、以前からあこがれていた廊下とやっと遭遇できて、感動しまくりでした(笑)」
◆「連結水槽」の思い入れ
かつての蔭山さん一家。お母さんが撮った1枚。左手前にいるのが、まるで女の子のような蔭山さん。当時の住宅事情がなんとなく想像でき、特にダイヤル式の電話カバーが渋すぎます。※
中学生のころ、玄関に置いていた水槽群。180㎝のアングル台に3段で水槽を設置。「最初は半分ほどの規模の水槽だったんですが、床が重みに耐えきれず沈んできまして。玄関の床をはつり、水槽の部分だけにセメントを流し、補強工事を大工さんにお願いしました」。ちなみに一番下の段は、当時親しくしていたアクアショップが店舗移転する際にもらったという思い入れのある「連結水槽」。
――アクアリストデビュー誕生ですね。
「そうですね、魚たちと一緒に暮らせると思うと、もううれしくてうれしくて。とはいえ設置する場所がなかったので玄関スペースに置いていました。毎日毎日飽きることもなく、家にいる時はずっと見入っていました。特に繁殖時期はその様子を見たくて、徹夜することもしょっちゅうでした」
――でもそれがアクアにとって一番大切な観察力につながるんですよね。
「そうだと思います。魚の健康状態を把握するには、普段からの観察力がモノをいうと思います。いつも状態をしっかり見てさえいれば、異変にも気づきますし結局病気やトラブルを防ぐことにもつながるんだと思います」
――ご家族の理解もあったと?
「小さいころからやりたいことをさせてもらってましたから。私はディスカスメインでしたが、姉は姉でカメやワニ、金魚なんかも飼ってましたよ(笑)」
――レプ女子の走りですね(笑)
「でもヘビだけはダメでした。お母はんがヘビだけは絶対イヤやって言うもんやから。これだけは何が何でもNGでした(笑)」
◆大人顔負けの中学生ブリーダー
――アクアは中学生のころが一番ピーク?
「中学生になってから、アクアが好きだというクラスメートに出会いました(笑)。同じ趣味を持つ者として、これはうれしかったです。とにかく色々なアクア系の雑誌を片っ端から読んでいて、すごい知識を持っていたんです」
――心強い友と出会ってラッキーでしたね。
「ところがこの友人、知識オンリーでまだ魚を飼ったことがなかった奴だったんです(笑)。でも体験はなくても知識だけはとにかく豊富で、見たんかいと思うほど詳しかったんです」
――彼が唯一のアクア友だった?
「そうです。今は何してるんやろなあ(笑)」
今も蔭山さんの手元に残る懐かしいアクア系雑誌。「積極的に読んでいたのはディスカスのところだけですが、友人が隅から隅までしっかり読めと(笑)」。
当時は、いわばアクアバブル期。今ほどネットによる情報も活発ではなく、アクアユーザーがこぞって読んでいたのがこれらの専門雑誌でした。
――中学生でありながら、将来を嘱望されるブリーダーに。
「お店などにも納品させてもらって、いいお小遣いになりました。当時、大阪市の西成区にアクアショップがあって、店長さんやお客さんにはよく可愛がってもらいました」
――アクア仲間では最年少だったのでは?
「そうですね。ディスカスを買いにくる人はお医者さんや弁護士、会社の社長さんばかりでした。そんな大人の人とも仲良くしていただき、親魚をいったんお預かりして繁殖させ、生まれた稚魚と一緒に親魚をお返しするということもやらせてもらって、とっても喜んでもらえました」
――店がいいコミュニティの場になっていたんですね。
「そうです。魚や用品を買いにくるだけでなく、客同士が集まって情報交換する場でもありました。しかも地域密着。今そんな店はめっきり減りました。時代の流れといえばそれまでですが、アクアユーザーにはそんな人情のある路面店を利用して欲しいですね」
ライトニングターコイズのF1同士のペア。当時よく通っていたアクアショップのオリジナルターコイズ。「当時はまだ一般的にディスカスの繁殖例が少なく、中学生~高校生で繁殖、そして自家繁殖同士のペアを繁殖させたことで、かなり驚かれました」。※
この写真を撮った蔭山さんは、弱冠18歳。同じくF1ペアと思いきや、「先程のライトニングターコイズの子ども、いわゆるF2のような気がします。何せ35年前の話なので…」。※
ドイツコバルト同士のペア。「当時500円玉サイズの稚魚を1匹1,500円程度で引き取ってもらってたと思います。自家繁殖のディスカスの中では、最も高値で引き取ってもらっていた稚魚の親ペアなんです」。※
--いやあ、もうすごすぎて圧倒されっぱなしです。
「熱帯魚に関する収支一覧の専用ノートをつくり、冷凍赤虫を買っただの、肉屋でハート(ディスカスハンバーグ用)を何グラム買っただの、ドイツコバルトの稚魚◯センチ•◯◯匹を卸すだの、細かく書いていたのを覚えています。その時のノートは、おそらく実家にも残っていないと思うので残念です」。
ところがその後アクア熱は徐々にトーンダウン。「仕方ないですよね、中学生の時のように集中力がなくなってきますし、興味のあるものも変わってきましたし」。大人になっていく過程で少しずつアクアに対する情熱も薄れ、ついにフェードアウト。自分自身の将来のことを考えないといけないこともあり、蔭山さんにとっての「第1期飼育期」は静かに幕を閉じたのでありました。
◆本当だった立ち飲み屋のアクア
そして今。お店の片隅にはアクアゾーンがきらきら。ある意味本邦初公開。これこそが、噂のアクアのある立ち飲み居酒屋の真実だったのですね。案の定、「いやあ、これまた話せば長くなるんですよ~」と蔭山さん。はいストップ!この続きは次回までとっておきましょう。
※=蔭山さん提供
【第2話へ続く】