宇治茶の産地であり源氏物語の舞台として親しまれ、外国人観光客も多い京都府宇治市。その中でも、世界遺産のスポットとして、あるいは10円硬貨のモチーフとしても知られている京都府宇治市・平等院鳳凰堂を訪ねてみました。そこには、古来より水に寄り添ってきた絶妙な設計思想がありました。
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◆設計思想は水とともに
新しい年を迎えた、10円硬貨ですっかりおなじみの平等院鳳凰堂。訪れた人の多くは、小銭入れから10円玉を取り出し、前へかざして記念写真を撮るのが定番になっています。
平等院は、父親から譲り受けた別荘を藤原頼通が寺にリニューアルしたのが始まりといわれています。創建当時は、末法の世に阿弥陀様がみんなを救って極楽浄土に連れていってくれるという信仰がトレンドだった時代。貴族たちはこぞってそれを信じていたそうです。
「この寺を極楽浄土のようなイメージにしたい」。これが、頼通の描いたリニューアル時のコンセプトでした。かくして、ここ宇治に極楽浄土が再現されたのです。
鳳凰堂を始めとするお堂には阿弥陀様が住む宮殿を、そしてお堂の周りには阿字池(あじいけ)を設えて、宮殿の周りの宝池をイメージ。そして極楽浄土は西方にあることにもこだわった頼通は、平等院鳳凰堂を東向きに建てました。
冬の時期はいささか寒々しい感がありますが、風のない日に阿字池に映り込む鳳凰堂の美しさは格別といわれています。余談ですが、この池の周りには創建当時四季折々の花が植えられていたことが近年の発掘調査でわかりました。まさに宝池。あちこちに極楽浄土を再現した設計思想の片鱗がうかがえます。
ちなみに、10円玉硬貨に採用されたのは昭和26年。採用された理由は、極楽浄土を再現したことを後世に伝えようとしているのか、創建当時から1度も火災に遭わず戦火もくぐり抜けてきた幸運のエピソードを大切にしているのか、あるいは1万円札のモチーフである鳳凰が鳳凰堂の屋根にいることに起因しているのか、その理由は定かでないようです。
◆鳳凰がいる意味
鮮やかな朱色というよりは、落ち着いた赤色の鳳凰堂。平成の大修理では、創建時に近いと思われる酸化鉄系の丹土を使用しているそうです。酸化鉄系の赤といえばベンガラが有名ですが、もしかしたら丹土ベンガラなどの顔料が使われているのかも知れません。
平等院の本堂は、本来は阿弥陀仏をお祀りする阿弥陀堂です。それが江戸時代に鳳凰が屋根に舞い降りているように見えることから鳳凰堂と呼ばれるようになりました。阿弥陀堂とその両脇の翼廊、そして阿弥陀堂の後ろの尾廊で構成されています。
鳳凰は中国の霊鳥。架空の鳥にもかかわらず徹底して再現されているのは、鳳凰に対する当時の人々の憧れを表しているかのようです。ちなみに鳳凰は甘い泉の水だけを飲み、その卵は不老長寿の霊薬だともいわれています。極楽浄土と鳳凰。当時の最強コンビだったのかも知れません。
外からも阿弥陀仏のお顔が拝見できるようにと、正面の格子には円窓が開けられています。創建当時は阿弥陀堂の正面に、小さな島が設けられ、人々はそこから阿弥陀仏を見上げることができたそうです。そういえば、奈良の東大寺の大仏も窓越しで顔の部分を見ることができることを思い出しました。
◆じかに触れることのできる貴重体験
阿字池の堤は、近年の発掘調査で120~150㎝ほど盛土したことがわかりました。豊臣秀吉が伏見城を築城したのちに、淀川水系の治水と水運整備のため周辺の川を改修したことで阿字池に宇治川の水が流入。増水することが増えたため、盛土されたといわれています。
もしかしたら、頼通同様秀吉も極楽浄土へのロマンを抱き続けていた一人だったのかも知れません。
ちなみに、阿字池に流れ込む川はありません。70年ほど前までは湧水もあったそうですが、現在ではそれもなくなり地下水をポンプで汲み上げているようです。
鳳凰堂以外の建物は焼失しましたが、現在の建物も塔頭も平等院を支える人たちの努力によって再建されたそうです。そこには、いつも不死鳥の如く見守る鳳凰堂の姿があり、人々を勇気づけたことでしょう。
境内の案内図にも書かれることのない八角堂。観光客の関心はあまりなさそうですが、実は明治の大改修の際に残った鳳凰堂の部材で建てられたものだとか。もしかしたら創建当時に翼堂を支えていた部材かも知れないともいわれているいます。貴重な文化財を守るため、触れることも許されない鳳凰堂。歴史ファンならずとも、じかに触れて柱の堅牢さと暖かい木の温もりを感じてみるのもいいかも知れません。
◆時代は変わっても平穏無事に
池には数匹のコイも。
なぜかアオサギが水辺に一羽。観光客を怖がることもなく涼しい顔をして池の中でたたずんでいました。
時代ごとに改修や保全が行われてきた平等院鳳凰堂。平成の大修理を終え、今が創建当時の姿に近くなったといわれています。現在は、内部拝観も行われています。
創建当時の阿字池の美しさはないかもしれませんが、春・夏・秋・冬いつ訪れても四季折々に趣のある平等院。川の流れが変わり阿字池の様子が変わっても、源氏物語の宇治十帖所縁の地として親しまれ続ける宇治の地で、今も静かにたたずんでいます。
境内の散策は、阿字池を右方向に回るコース。散策中は常に阿字池と一緒です。いくら時代が移り変わっても、平穏無事に暮らしたい人々の気持ちに寄り添ってくれているかのように。
水があり、人が集い、歴史を紡ぐ。極楽浄土の再現を目指し平等院を建てた頼通は、きっと自らの望む極楽浄土にたどり着けたに違いありません。阿字池に浮かぶ鳳凰堂をさまざまな角度から眺めながら、ふとそんな感慨に耽ってみました。
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令和6年能登半島地震で被害に遭われたかたがたに、心よりお見舞い申し上げます。