田舎暮らしを夢見たわけでもなく、甲賀忍者に興味があったわけでもなく。独立開業を決めた3年前、高品質な改良メダカを育てる目的で選んだのがこの場所でした。若干31歳のブリーダー・野口賢次さんが思い描いてきた通りのサクセスストーリー。のどかな田園風景に抱かれながら、果てることのないメダカ美学が満天の星のごとく光り輝いています。
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◆作業効率にも考慮したビニールハウス
滋賀県甲賀市。大阪市中心部からでも思った以上にアクセスがよく、新名神を使えば甲賀インターまで1時間ちょいとは意外でした。いわずと知れた、甲賀忍者のふるさと。資料館や忍者屋敷・忍者村などの観光スポットが点在するほか、近江米やお茶の産地としても知られています。
閑静な住宅街に、ひときわ異彩を放っていたのがビニールハウス。実際見てみると意外に大きく、スペック的には間口6m×奥行11m。メダカ飼育のフィールドとしては十分すぎるサイズ。骨組みもしっかりしていて、台風にも耐えられる強度のパイプを使っています。
遮光も可能な二重構造。手動ハンドルをクルクル回せば簾代わり。これなら、とんでもなく室温が上昇することも抑えられます。メダカのために、やれることは何でもやる意気込みが伝わってきます。
整然と並ぶ容器の数々。しかも3段設計。卵だけの容器、針子だけの容器、親だけの容器、そして販売用と、それぞれのカテゴリーに分類され作業もしやすくなっています。
ハウス外には、グリーンウォーターで色や柄がきれいに出る品種のみ約20種を飼育。特に紅帝透明鱗ヒレ長は、最初仕入れた時はペアで3万円もした高品質メダカです。
このほかにも紅帝ヒレ長や月華など。もうすぐここを巣立っていく日を待っています。
◆効率よく作業は「親抜き」から
ビニールハウスの主は高槻市出身の野口賢次さん。10年以上ショップ勤めを経験し、3年前にメダカの生産者として業界デビュー。現在は、ホームセンターなどのインショップにメダカを卸しています。顧客数は何と100超えというから驚きです。
ショップ勤めのころはマネージャーも経験。寝ても覚めてもアクアオンリーの忙しすぎる毎日でしたが、「その分、横のつながりがたくさんできたのが結果的にはよかったと思っています」。ということは、かなり前から独立しようとしていた?「そうですね。この業界に入った時から目標として掲げていました」。ただメダカが好きというだけではなかなか難しい独立も、野口さんにとってはさほど難関ではありませんでした。
10代のころからアクアショップ勤めを経験し、20代後半で独立。しかもショップではなく、生産者という道を選んだ野口さん。「昔は川魚を採って店で販売していたこともあるんですが、商売となるとやっぱりメダカかなと思ったので(笑)」。わかりやすく、言いたいことをハッキリ言うタイプ。31歳とは思えない受け答えのよさが印象的です。わずか3年で多くの顧客を獲得できた理由もよくわかります。
とはいえ、わざわざ滋賀県に新天地を求める必要はあったのでしょうか。「とにかく広い場所が必要だったんです。生産者としてやっていくためには、数多く個体を持っていないと話になりません。ほかとくらべて土地代が安かったのも救いでした」。少しずつ段階を経てからじっくりと、という思考はあまり持たない野口さん。こうした思い切りのよさが成功につながったのでしょう。
野口さんが繁殖の基本としているのが、「親抜き」といわれる方法です。これは、①親魚と同時に産卵床を容器に投入②産卵を確認したあとは親魚だけを抜いて別の容器に移す③親魚を入れた容器に新しい産卵床を入れて産卵を待つ④産卵が確認できれば産卵床を①の容器に戻す、というやり方です。
「ただし同一ペアでの親抜きは、一番最初の産卵のみです。そうすることで、少なくとも1回目の産卵では必ずすべての卵を確保できるからです」。ちなみに、親魚のいる容器から産卵床のみを取り出す方法は、一般的に最も普及している繁殖方法です。
孵化した針子は、一段下の容器に移動するだけで済む野口さん独自のシステマチックな方法。この方法であれば、産卵床や針子の移動が最小限で済みます。結果的に作業に無駄がなく効率的。そして、親魚・卵・針子が一括で管理できるというのが、何よりの利点といえるでしょう。
◆成熟の第2ファームへ
自宅から車で南へ15分。このあたりは、住宅地中心だった野口さんの自宅周辺と景色が一変。民家の周りに田畑が広がっています。
向かうのは、第2ファーム。自宅横のビニールハウスだけでは不十分?「そうですね、数的に足りません。より多くのメダカを繁殖させるためには、広い場所が必要ですから」。やりすぎたってことにはならない(笑)?「ならないと思います(笑)」。ビニールハウスはてっきり自宅横だけと思っていましたが、野口さんの自信は確信以外何物でもない感じです。
現着。真新しい容器がずらりと並んでいます。全部で170個。ここはまだ設置したばかりの野外ゾーン1。この付近一帯を、エッ、うそでしょ!?というような驚きのプライスで借りることができたのだそうです。もちろん下に見える民家もおまけでついてきました。
これだけではありません。続いてここ。4本あるカキの木とミカンの木の下につくられた野外ゾーン2。木陰なのでネットがなくても大丈夫かと思いきや、「この付近は夜になるとシカやイノシシがよく出没するんです。果実を取ろうとしたのか、朝きてみると容器がぐちゃぐちゃになっていたこともあります(笑)」。
つい先日も、自宅横のビニールハウスにアライグマが出没してメダカが被害に遭ったこともあるのだとか。「やられる量はヤゴとかの比じゃないですね。ゴッソリ持っていっちゃいますから(笑)」。自然の中で働くということは、野生動物との戦いでもあるのです。
そして一番高いところにあるのが、第2ビニールハウス。間口8m×奥行18mは、自宅横の第1ビニールハウスよりひと回り大きいサイズ。眼下にある野外ゾーン1と2と並んで、ここが野口さんの第2ファームのすべてです。
3つの飼育ゾーンを違う角度から見たらこんな感じ。
ビニールハウスの利点は何といっても、繁殖期間が長いという点にあります。「一般的な屋外だと5月から9月くらいまでですが、ビニールハウスだと産卵期が長く2月から11月ごろまで可能です。しかも温度管理も自在にできて、雨の日でも作業ができる点も大きなメリットです」。ビニールハウス内の容器数はざっと700以上。「どちらかというと、第1ビニールハウスでは高額品種を、ここでは比較的安価な品種をメインに繁殖しています」。
夏は上段の容器を白色に変更して使用します。「そうすることで、急激な温度上昇を抑えられるんです」。
エサであるはずのミジンコが、これから成長しようとする針子と混泳?「今の針子のサイズだと体が小さく、ミジンコが大きすぎて食べられないんです。針子が成長してミジンコが食べられるようになる頃にはミジンコももっと増えているので好都合なんです(笑)」。
「こんにちは!」。元気のいい男性が声をかけてきたと思ったら、野口さんのスタッフでした。大阪市福島区出身の石田友樹さん、すっかり周りの風景に溶け込んでいます。「メダカを増やすのがとても楽しいので、野口さんにスカウトしてもらいました(笑)」と、とっても幸せそう。
聞けば、野外ゾーン1の下にあった民家に寝泊まりしている、これまた移住組。その話ぶりを聞いていると、うらやましくもあります。Wi-Fiつながってる?「大丈夫です(笑)!」。文字通り第2飼育場を任された石田さん。野口さんはマネジメントや繁殖技術だけでなく、心強いパートナーを見つけてハンティングできるスキルも持っています。
◆地元農家とも強いつながり
夏になると、ホタルが飛び交うシーンが見られるそうです。エキゾチック。
もちろん夜空には満天の星が。ロマンティック。
ご近所の農家ともすっかり仲良し。「場所を安く貸してもらっているので、頼まれたら何でもします(笑)」。
のどかで絵に描いたようないい雰囲気にみえますが、最近は使わなくなって荒れてしまった田畑が多いのだそう。段々畑だったところは、今やメダカファームとしてフレッシュにリニューアル。野口さんや石田さんのような若い人たちのパワーは、きっと地域の活性化にも貢献していることでしょう。
容器の重り代わりになる竹も、ご近所の竹林からもらってきました。「最近は木材も高いので、すごくありがたいです」。
水がきれいになるだけでなく、稚魚やミジンコ、ゾウリムシのエサにもなるオリジナル商品「メダカ屋のPSB」。発売後まる3年、大阪府内のショップでも少しずつ見かけるようになりましたが、メダカ同様自然豊かなこの地でつくられています。
◆ホームセンターをレベルアップ
――顧客がホームセンター中心なんですね。
「一般的にホームセンターというと、個体に関してもオーソドックスで安価なイメージがありますが、最終的にはそれを払拭したいんです」
――とはいえなかなか簡単にはいきませんよね?
「インショップにいた時代から、このままのイメージじゃいけないなと思っていたんです。なので、当時はあえて意識して高品質なメダカを取り寄せていました。その結果、ホームセンターでも質のいいメダカが買えるんだという認識がお客さんの間でも広がっていきました」
――なるほど、ちゃんと裏付けがあるのですね。
「これからは、インショップでも高級なメダカが手に入る時代にしないといけないと思っています。そうすれば、ホームセンターの格も上がります。その趣旨を理解してくれるお客さんも徐々に増えてきてよかったです」。
――ホームセンターを主力にしている理由がわかりました。
「当時感じていたことが、間違いではなかったと確信できました。そうするためには独立するしかないと信じていましたから」
――Pick- Upという屋号にも野口さんの思いが込められている気がします。
「親魚を厳選することで、いい個体を取ることができる可能性が高まります。いい個体が取れること=ピックアップできれば、結果的に高品質のメダカがお客さんの手元に届くことになります。屋号というより、自分のポリシーですね」。
――品種の特徴もしっかり表れていることでしょう。
「もちろんです。特徴がきちんと出ないうちは出荷しません。この広いファームでじっくり仕上げて、品種の特徴がしっかり出た状態のメダカを、ぜひ店頭で確かめてください」
◆すべては高品質メダカのために
いつもは自宅で野口さんの帰りを待っているチャウチャウ犬「こまめちゃん」(女の子)。時々、第2ファームで野口さんたちの作業を見守っていることも多いのだとか。
その様子が愛らしくて深夜の人気番組でも紹介されたこともあり、フォロワー数は2.8万超。毎日重労働の野口さんを癒す、心やさしいマドンナでもあります。
野口さんが手がけた高品質なメダカが、ホームセンターを変えようとしています。そしてメダカユーザーの意識までも。この先がますます楽しみになってきました。
3年前、独立を決めたと同時にわざわざ滋賀県にまで足を伸ばして新天地を求めた野口さん。当初からなぜ広いスペースが必要だったのか、決して利益追求のためではありませんでした。
すべては高品質のメダカを広めるために。メダカが単にブームだけに終わらないために。ワンランク上をいくメダカのスペシャリスト。「ブームが終わってしまったら?その時はその時でまた何か考えます(笑)」とサラリと言ってのける野口さん、きっと次の目標は見えているに違いありません。