明智光秀の半生を描いた大河ドラマが終了して1カ月あまり。関西に点在する光秀ゆかりの地に対する人気はまだまだ根強く、歴史ファンならずとも注目されています。そんな中、あの山崎の戦いにまつわるもうひとつのエピソードとして、「キワメテ!水族館」は地下水に注目。地下水が光秀とどのような関わりがあったのか、山崎の戦いの勝敗に影響することがあったのか。歴史学者も知らないもう一つの諸説を、キワメテ視点でリポートしてみました。
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◆光秀が最期に逃げ込んだ勝竜寺城
JR京都線・長岡京駅から南へ約1㎞。比較的閑静な住宅街のど真ん中で、ひときわ白い天守が異彩を放っているのが勝竜寺城公園です。
勝竜寺城は、天下分け目の決戦といわれた山崎の戦いに破れた光秀が逃げ込み、最期の夜をすごした場所であったことはあまりにも有名です。そんな凄まじい歴史があったとは思えないほど、現在は緑豊かな公園として市民のオアシスとなっています。
城が改修されたのは1571年。瓦や天守、石垣など、その後お城を建てる時のベーシックモデルとなったほど、当時としては最先端の様式だったといわれています。
西国街道や淀川水系が近くを通っていることもあり、この場所は交通の要衝でもありました。
小高いこの場所からは、あの天王山も見えます。ちなみに、山崎の戦いは「天王山の戦い」といわれることもしばしば。そのせいか、それぞれ別の戦いだと勘違いしている人は少なくありません。山崎の戦いに勝利した秀吉が山崎城を大改修したという史実も、ややこしくなってしまった要因かも知れません。
◆ガラシャとゆかりが深い理由
天守に見立てた管理棟内には、勝竜寺城にゆかりのある人物を解説するコーナーも。大河ドラマが最終回に近づくほど訪問客も少しずつ増え、専用駐車場が満車になったこともたびたびあったそうです。
細川忠興と細川ガラシャの銅像が園内に。ガラシャはいうまでもなく光秀の実の娘の一人ですが、細川家に嫁いだあと数年この城に身を寄せていたこともありました。
正面入口に建てられている碑の題字は、かつて首相を務めた細川護煕氏によるものでした。かつて隆盛を極めたこの城は、かの細川家にゆかりが深かったことを物語っています。
去年はコロナの影響で中止されましたが、例年なら毎年11月にガラシャの嫁入りの行列を再現した「長岡京ガラシャ祭」が行われています。
また、駅から城へ続く一本道が「ガラシャ通り」と正式に称されていたりするなど、細川家=ガラシャに紐付けされたエリアであることは間違いありません。
◆ガラシャおもかげの水とは
公園内には、水にまつわるこんなものまでありました。「ガラシャおもかげの水」。一般に開放されている水飲み場のようでした。これは一体どういうことなのでしょうか。一般の水道水ではないのでしょうか。本能寺の変や山崎の戦い以上に興味が沸いてきました。
これは平成18年につくられた長岡京市の水道施設でした。名称が書かれた石碑のほか、2カ所から取水できるようになっています。もちろん飲料用かつ公認。ペットボトルなどに水を汲んで自宅に持ち帰る市民も少なくありません。
この水道施設が「ガラシャおもかげの水」と命名されたのは、その昔ガラシャが城に住んでいたころも井戸水を愛飲していただろうとの説から。大河ドラマの面影を追って訪れたスポットが、まさか水までガラシャの面影を求めていたとは意外でした。
専用駐車場のすぐそばに、もう1カ所水道施設があります。場所的に園内のものよりも便利だからでしょう、車や自転車で水を汲みにやってくる人が多く、「もう何十年も汲みにきていますが、コーヒーなどの飲用はもちろんごはんを炊く時にもこの水を愛用しています」と、ガラシャゆかりの水を日々のくらしに取り込んでいる女性や、「やっぱり水道水よりおいしいから。それに、ここで水を汲んでいったらお金がかかりませんから」というガラシャとは何のゆかりもない男性も。
すぐ横には、こんな歴史遺構もありました。どうやら戦国時代から城と水とは深い関わりがあったようです。そしてこの井戸から湧き出た水をガラシャが愛用していた可能性も否定できないのです。
ガラシャゆかりの城と、ガラシャにまつわる水。この両者がどういう関係にあるのか、キワメテ的には気になって仕方ありませんでした。
◆地下水脈が豊富な長岡京市
少し調べてみると、勝竜寺城公園のある長岡京市は昔から水の豊富な地域として知られてきたようです。同市は京都盆地の中にあって、周囲の山々に降った水が地中に浸透し地表から比較的浅かったという地形的な理由もあり、良質の地下水が豊富に湧出していたようです。
そういえば、以前取材した大阪府島本町の水無瀬神宮や京都伏見の御香宮神社も古くから名水に恵まれ、今回と同じ京都盆地エリアでした。
ちなみに、長岡京市には自然水を使ったといわれているビール工場があります。そして同じメーカーのウイスキー蒸溜所が、すぐおとなりの山崎に。日本を代表する酒造メーカーの拠点は、京都盆地の豊富な地下水脈の恩恵を受けてきたのかも知れません。
取水井戸のある場所に足を運んでみました。農地の中にフェンスに囲まれた取水施設がぽつりと。ここは、いわば地下水をくみ取っている原点でもあります。仕組みや構造はわかりませんが、こうした取水井戸はほかにも多くあり昭和38年に水道事業が本格化して以来今も水を枯らすことなく現役でいる施設が少なくないそうです。
施設を管理しているのは長岡京市上水道部。同市の上水道は、100%の地下水を塩素などで消毒しただけの水道水と、地下水50%に京都府の水50%を足して消毒を施したブレンド水との2タイプに大別。一般家庭用にはブレンド水が供給され、勝竜寺城の水道供給施設などでは100%地下水でつくった水道水が適用されています。
地元の人たちによると、地下水100%の水道水は「まろやかでおいしい水」とのこと。まさに知る人ぞ知るおいしい水。市が公園整備の一環として水道供給施設をつくったのも、こういった理由があってのことでした。市民がこぞって水を汲みにくる理由も、よくわかりました。
◆出てこい!光秀ゆかりの水
さらに近辺には、このほかに2カ所も水道施設がありました。もちろん両者とも地下水100%の水道水。一般家庭に供給されているブレンド水ではありません。まず1件目は阪急西山天王山駅前。平成25年、西山天王山駅開業と給水開始50周年記念事業の一環として開設されました。
汲み水を想定されていないからでしょうか、蛇口をひねって出しっぱなしにはできません。それでも、工夫して朝早くからペットボトル持参で水を汲んでいく人もいるそうです。
ちなみにこちらの名称は、何と「秀吉(備中)大返し力水」。これは驚きました。明らかに光秀と敵対していた秀吉にちなんだ命名だったとは。本能寺の変を知った秀吉は、急きょ備中高松城からこの地へ駆けつけました。そして山崎の戦いで勝利を収め、天下統一への道を歩み始めたことはいうまでもありませんが、秀吉が戦いの前に力水としてこの水を飲んだかどうかの史実はありません。まさに光秀サイドとは対峙するネーミング。光秀ファンにとってはやや複雑な思いがしてならないでしょう。
ここからさらに数百m南下した小さな公園にも、地下水100%の水道供給施設がありました。まず目に飛び込んできたのは、周囲十数mの人工池。平成26年に公園の一部として整備され、公園のシンボルとなっています。
昔この付近には別の小さな池があり、地元の小倉神社の神事の際に池で馬を洗って身を清めたと伝えられています。いつの時代かは定かではありませんが、こちらの水道施設は、そうした伝承にちなんで「馬ノ池の水」とごくシンプルに命名されました。決して人工池の水、という意味ではありませんので念のため。
命名そのものに戦国時代のにおいはしませんが、戦をサポートしていたのはいつの時代も馬でした。山崎の戦いで参戦した馬たちに、お前たちもよく頑張ってくれたから勝てたのだ、と秀吉からねぎらいの水をもらっていたのかも知れません。
◆山崎の古戦場にて
長岡京市に点在する地下水100%の水道水の水道供給施設は、合計3カ所でした。しかも、どの施設も市民に有効活用されていたのが印象的でした。残念ながら光秀にちなんだところはありませんでしたが、大河ドラマの影響でそれぞれの水道施設を訪れる人は多くなるような気がします。取水の際はくれぐれも密にならないように。
なおガラシャのおもかげの水だけは、アルミ缶にボトムインされた状態で災害時の備蓄用として、またふるさと納税の返礼品として入手可能。観光の記念のお土産としては販売されていませんが、関心のある人はぜひふるさと納税を利用してのどごしを確かめてください。
歴史がめまぐるしく動いた本能寺の変。そして光秀の時代の終わりを告げた山崎の戦い。最後にその場所に足を運んでみました。頭上を京滋バイパスの高架橋が走り、近くの中学校では子どもたちの遊ぶ姿があり、まさかこの場所が天下分け目の決戦地だったとは想像もつきません。
秀吉軍と光秀軍とが川を挟んでにらみ合い、戦いの火ぶたを切った小泉川も今は元気な子どもたちの遊び場に。
すぐ目の前には天王山。そして豊富な水脈に恵まれた長岡京市。水道事業がスタートするずっと以前の戦国時代に、地下水がどのように使われていたのかは史実にもありません。もし、光秀が地下水の存在をガラシャから教えられて光秀軍が愛飲して秀吉軍を迎え撃っていたら形勢は逆転していたかも知れないと妄想するのは、都合のよすぎる解釈でしょうか。
天王山山頂から見た長岡京市。歴史がどう変わろうが、誰が天下をとろうが、自然に育まれた美しい水のある風景だけは永遠のものであってほしいと願うばかりです。
もし市内に4カ所目の水道供給施設が生まれるのであれば、その時はぜひとも「光秀ききょう無念の水」と命名を。