1300年前の飛鳥時代の面影を今にとどめる奈良県明日香村。古墳や社寺など国の重要文化財が多数存在し、歴史ファンを中心に観光客も少なくありません。明日香村屈指の観光地・石舞台古墳からさらに奥へ。奥明日香といわれる稲渕エリアはのどかな田園風景が広がり、ヒノヒカリの産地でもあることで知られています。そんな場所で出会った、小さな水のある風景。意外なエピソードが待っていました。
☆ ☆ ☆
◆稲渕棚田と集落
近鉄吉野線・飛鳥駅にて。歴史的建造物や仏像など国宝や重要文化財などが圧倒的に多い奈良県ですが、その中でも明日香村は格別。広がる田園風景、連なる山並み、そして清流のせせらぎ。1300年前のロマンが今も息づいています。
明日香の代表的観光スポット・石舞台古墳から、電動アシスト自転車で坂道を10分ほど。坂を上りきると、新緑で彩られた美しい風景に遭遇。
パノラミックでダイナミック。そこには、谷間の美しい風景が広がっています。
ここは明日香村稲渕地区。ここから見える棚田の風景が圧巻です。通称・稲渕棚田。山の斜面を利用してつくられた棚田は、風光明媚なロケーションとは裏腹に農家の人々にとっては重労働。全国の棚田が年々減少傾向にあり、稲渕地区の棚田も減少傾向にありますが、棚田オーナー制度の導入などの努力が図られています。また稲渕棚田は「日本の棚田百選」にも選出された、ヒノヒカリの生産地でもあるのです。
秋になると、彼岸花が咲き乱れるスポットとしても知られていますが、最近はイノシシがミミズなどのエサを求めて土を掘り起こす際、一緒に彼岸花の球根ごと持ち上げてしまう被害が続出。少しずつではありますが、秋の風物詩である彼岸花の数も減少しているそうです。
また畑に植えられた枝豆を、シカが食い荒らす被害も勃発。そういえば、自衛策としての電気柵の数が以前よりも増えました。
◆万葉集にも登場する飛び石
集落に入ると、何気に「飛び石」の案内が。うっかりしているとついつい見落としてしまいそうですが、今日の目的地はここ。周りを見渡しても、観光客らしき人は誰もいません。
「飛び石へ行かれるんですか?歴史や地理がよほど好きな人でないと、観光で訪れる人は少ないですよ」と、つい最近まで公務員だったというご近所に住む男性。早速その場所まで案内してくださいました。
田んぼや畑を左右に見ながら、川のあるほうへ下っていきます。
さきほどの案内柱からわずか5分ほどで到着。目の前には飛鳥川、そして大小さまざまなサイズの石がごろごろと転がっています。
川の向こう側まで歩いて渡れるよう石が並んでいます。まるで橋のように。少し間隔をあけて。これこそが「飛び石」の正体でした。
川の袂には石碑がありました。そこには万葉歌人によって詠まれた歌が書かれています。
明日香川 明日も渡らむ 石橋(いしばし)の 遠き心は 思ほえぬかも
〈解釈〉明日も私はこの石橋を渡り、あなたのもとへ向かうでしょう。その想いはこの石橋のように離れずあなたの心の傍にあるのです
短い川幅なのに、その距離が遠く遠く感じる控えめな女心。切なくも愛しい心情が込められています。
このように、飛び石をテーマとした歌がほかにも詠まれていたことが近代になってわかり、隠れた万葉スポットとなっているのです。
反対側から見た飛び石はこんな感じ。この素朴でシンプルすぎる橋は、すでに1300年前にあったと思われます。こんなに山深い里で、しかもこんなに目立たないシチュエーションで歌が詠まれていたとは意外でした。
飛び石にちなんだ歌をもう一つ。
うつせみの 人目を繁(しげ)み 石橋の 間近(まぢか)き君に 恋ひわたるかも
〈解釈〉世間の人目が気になるので、飛び石の間ほどの近くにいるあなたではありますが、逢うことも許されず恋続けている私です。
このほかにも飛び石にまつわる歌がいくつかありますが、万葉人にとって川は時の流れの象徴だったり、恋しい人を思って流す涙だったり、感情の起伏を表現するものだったりしていたのかも知れません。だからこそ、飛び石があるのに渡るに渡れない想いや、直近に並んでいる飛び石のようにすぐ近くにいるのに触れることすら許されない切ない想いが、描かれているのかも知れません。
◆米づくりに欠かせない清流
樫の木もすくすく育ち、豊かな自然の中で飛鳥川の心地よいせせらぎが聞こえてきます。
川はさほど深くなさそうです。よくみるとアブラハエなどの川魚が泳いでいたり、オニヤンマが川面すれすれに飛ぶ姿も見られました。
飛び石と万葉人とのロマンチシズムな関わり。今はもう川を渡る人はほとんどいないのだろうと思いきや、「いえいえ、そんなことはありません。川の向こうは田んぼや畑などがあって、この集落の人たちは今も農作業をするために、飛鳥川を行き来しているんです」。
飛び石とは別にもうひとつの橋が架けられているのも、そのためだったのでした。
この橋は車も通行できる橋。集落と県道とを結びます。
「橋がまだなかったころは、農具や籠などを背負って飛び石を使って渡りました。川を渡って向こうへ行かないと、農作業ができませんからね、昔も今も」と、農作業をしていた女性が教えてくれました。
飛鳥川を境にした集落と田畑。交通手段もほとんどなく、愛する人への通信手段はといえば、歌が主流だった時代。現代のようなロマンチックなポエムなどではなく、お互いが想い合っていてもいつ会えなくなるかもしれない悲壮感が漂っているような気がします。万葉人が詠んだ数々の歌は、そんな切ない恋の成就=豊作を願って詠まれたのかも知れません。
◆日本一名前が長い神様
「上流のほうにもあるんですよ」。え、飛び石が?「すぐ近くなので行ってみましょう」。地元の男性の案内に従って、集落とは反対側にある比較的新しい県道で上流のほうへ行ってみることに。
電動自転車で5分足らず。うっかりすると見失ってしまいそうな古びた案内柱が目印です。かつては「飛び石」と書かれていたようですが、すっかり褪せてしまいました。
「あそこです」。道の上から見ると、木々の間から石段と川面が見えます。その先にあるのは、上流の飛び石。地元の人たちが率先して木々を伐採し、貴重な水の景観を見えやすくしたそうです。
石段を下りると、飛び石がありました。形状はさきほどとほぼ同じ。区別するとしたら、こちらは上流、メインは下流、といったところでしょうか。
下流の飛び石よりもややごつごつしていて、橋というよりも数個の石が一直線に置かれた感じです。
下流に比べると川幅はやや広め。水の流れも落ち着き、日陰のせいで気温も1~2度違う感じがします。
地元の人たちにとっての飛鳥川。それは農作物にとっての重要なライフラインにほかなりません。ブランド米が生産される背景には、飛鳥川の存在があるからです。
田畑を所有する村の地主さんたちが共同で水を管理。飛鳥川から流れる水をそれぞれの田畑に引き入れ、農業用水として活用しています。水の質もよく、水量も豊富なのだとか。
「夏になるとホタルも飛び交うんですよ」。確かにこんな看板もありました。ホタルが生息するということは、それだけ水がきれいな証拠。おいしい米の生産地としての証でもあります。
さらに上流に足を伸ばすと、こんな神社がありました。飛鳥川上坐宇須多岐比賣命神社(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ)。
こんな長い神様の名前、聞いたことがありません。「おそらく日本で一番長いのではないでしょうか」。
神社名が長いだけではありません。ここから飛鳥川に流れ込む流れもあるそうで、この神社は飛鳥川の原点でもあるようです。
1300年前に都として栄えた明日香。かつて万葉人が詠んだそれぞれの歌は、祈りとなって清流・飛鳥川のせせらぎを絶やすことなく、米づくりにひと役買ってきました。
たとえ都がほかの場所に移っても、神様は今も飛鳥川の上流から人々をやさしく守り続けているのでしょう。