アクアリストに限らず、誰もが一度は夢見る「独立」。好きなことだけに没頭してみたかったり、組織のしがらみが苦手だったり、理由はさまざま。大阪市港区で今年4月1日に開業した、アクアショップ・さかなのオアシス(大阪市港区)のオーナー松下和之さんもその一人。開業までの経緯を聞いてみると、人知れず壮絶なドラマがありました。今まさに独立を考えている人必見。どうするアクアリスト!
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◆自宅兼用の路面店
大阪市港区波除。大阪港にほど近く、USJや海遊館などのレジャー施設も目と鼻の先。国道43号線沿いで、さらにJR・大阪メトロの弁天町駅からも徒歩圏内というアクセスのよさがイケてます。
1階が路面店、2階以上は自宅というハイブリッドライフ。しかも売り物とはいえ、大好きな魚といつも一緒。アクアユーザーなら誰もがうらやむ好環境です。
開業は今年4月1日。この日は大阪でも桜が満開。春の門出にふさわしい、華々しいオープニングとなりました。
入口には、クリアガラス入りの4枚引き違いのアルミ製フロントドア。これなら外からでも店内の様子が見えて入りやすい感じです。
おおっ!この位置なら絶対目に止まりますね。こんなベスポジに貼っていただいてありがとうございます(笑)。
真新しい店内には、3段の水槽棚にピカピカの18個の90㎝水槽が整然と並んでいます。フロントドアからの外光の影響もあり、店内は明るく清潔感が満載。
新型コロナがようやく落ち着きを取り戻しつつあるとはいえ、この時期の開業は相当勇気が必要だったに違いありません。早速お話をうかがってみました。
◆売り物件の駐車スペースに着目
オーナーは松下和之さん。47歳。開業前は鉄を扱う職人として工場に勤務していました。もちろんアクア業界とはまったく無縁。鉄から水へ。どんな経緯があったのか、気になるところです。
――まずは開店おめでとうございます。
「ありがとうございます。ただ、こんな時期に開店しても後々やっていけるんだろうかという不安は常にあります(笑)」
――色々な思いを背負っての独立だとは思います。
「常々、いずれ独立したいなとは思ってました。仕事以外自分にできることといったら、アクアしかありませんでしたから」
――開店早々の自宅兼店舗を取材したケースは、記憶にありません。
「家を買う際、駐車スペースが広かったということも決め手になりました。道路の角で歩道も広く、ここなら人通りもあり路面店としての条件は整いそうだな、と」
――自宅を購入された時からいずれ独立しようと?
「そうですね、当時はまだ頭の中でぼんやりとイメージしていた程度ですけど」
――当時はまだ機が熟してなかったのですね。
「まだ会社勤めをしていましたから。いずれ好きなアクアに関する仕事ができたらいいなあと、そのくらいの軽い気持ちでした。当時は趣味としてのアクアにすぎませんでしたから」
アクアの前はスノボに熱中していた松下さん。そんな松下さんが、思いもかけない理由でアクアを始めるように。というより、始めざるを得なかったといったほうが正確かも知れません。一体、どんな理由があったのでしょうか。
◆壮絶なる開業ストーリー
――アクアとの出会いを教えてください。
「10年くらい前、知人に勧められたことがきっかけでした。最初は1個だった水槽が、あっという間に10個以上に増えてしまって(笑)。のめり込んでいきました」
--そのころはまだ開業しようとは思ってなかった?
「もちろんです。実は仕事で腰を悪くしてしまったんです。20代からじわじわと悪くなり始めていたんですが、30代後半に決定的になりました。同じ姿勢で同じ作業をしていたから起きた腰痛でした。ついに体が悲鳴を上げたのでしょう、脊椎のズレによるすべり症の固定手術を受けました。これは辛かったです。アクアを始めたのも、そんな辛さから逃れる意味もあったんだと思います」
――手術しないといけないほど仕事がきつかったと?
「何しろ3Kの職場でしたから(笑)。20年以上も同じ仕事をし続けてきましたが、体を治したかったら仕事を辞めるしかないよと、お医者さんにも言われたくらいです」
――体のほうはもう大丈夫なんですか?
「今も通院していますし、投薬も欠かせないほど強い痛みが襲ってくることもあるんです。しかも月一のペースでギックリ腰も襲ってきますので、油断できないんですよ」
――アクアどころではありませんね。
「コロナで仕事が暇になったことで、今度はメンタルがおかしくなったこともありました。疲れで夜眠れない日が続いたりして通院も余儀なくされました。心身ともにボロボロでしたが、アクアまでやめようとは思いませんでした」
――会社を辞められたのは?
「去年やっと(笑)。結果的にそれが開業に結びついたことになります」
――夢を叶えることができた、などという華々しい経緯ではないんですね。
「はい、全然(笑)。しかもコロナは収まりつつあっても、アクア自体かなり厳しい状況ですから。それでも何とかやっていきたいんです。一度こうだと決めたら、後へはなかなか引かない性格でもありますから」
――どんな店にしていきたいですか。
「実は、長い間自分がお世話になっていたアクアショップが廃業してしまって、ずっと困ってたんです。ということは、きっとほかにも困ってる人がいるだろうと思って、じゃあ自分が店をすればその人たちもきっと困らないだろうと。そんなアクアユーザーの気持ちがわかる店になればいいなと思っています。それがお世話になったショップに対する恩返しでもありますから」
開業によって、きつかった仕事からやっと解放された松下さん。まるでドラマのような壮絶な生きざま。ところがいざ店をオープンしてみると、「水換えで腰に負担がかかったり、前職場ではほとんど話すことがなかったのに今では接客で話さないといけなかったり(笑)。決して楽になったわけではありませんが、とりあえず夫婦が地道に食っていけたらそれでいいかなと思っています」。時代は決してよくないですが、心から応援したくなる、そんなお店です。
◆改装ドキュメント
改装が行われたのは、去年の12月。アクアショップとして生まれ変わる前の状況。駐車スペースとしては比較的広く、しかも通りに面していることもラッキーでした。
駐車スペースの奥を見るとこんな感じでした。
アクアショップには水がつきもの。シンクを新設すべく水道工事も行われました。
工事が行われたのが真冬であることは、給排水工事の職人さんの服装でもわかります。
店名や業種が書かれたテントを設置。「これだけは12月にできていたので、開店までの4カ月間はいい事前PRになりました」(松下さん)
水槽棚も設置。ようやく格好がついてきました。
大きい水槽のウエイトにも耐えられるよう設計。あとでわかったことですが、什器などのレイアウト配置は松下さん自らがCADを使って図面に落とし込んだのだそうです。かつての鉄職人は、手先も器用なんです。
通常より出力は大きめのエアコン設備。入口や壁が西側に面しているため、夏の西日対策でもあります。
配電盤も新たに店舗用に1個所増設(右)。アクアは電気が命ですから。自宅と出入り可能な専用扉も、駐車スペース当時のまま残しました。
最近は、ネット販売をメインにして開業するユーザーは少なくありませんが、自宅に実店舗を構えてあくまで路面店にこだわるケースは稀少かも知れません。松下さん曰く、「今まで仕事場では物言わぬ鉄が相手でしたが、これからは血の通った人が相手(笑)。お客さんとも情報を共有しながら、実店舗ならではの利点を生かせていけたらいいなと思っています」。
◆珍しい癒しの植物も
もともと海水魚志向だった松下さん。店内では、比較的扱いやすく初心者でも飼いやすい生体に特化しています。「どちらかというと小型で温和、混泳に向く生体が推しです」。
キュートでずっと見ていても飽きないコバルトワーフグラミー。ほかの魚との相性を気にしないといけないゼブラダニオとも混泳中。
ドクターフィッシュとしておなじみのガラ・ルファ。手足の角質を除去してくれるイメージが強すぎる感がありますが、こうして横見でチェックしてみると、熱帯魚としての存在感もバッチリ。
熱帯魚の定番でありながら、気性が荒いため混泳にも注意が必要なスマトラ。黒と赤の色合いが人気で、スマトラのみやコイ科の魚であれば混泳も可能です。
コンゴテトラ(手前)と、ランプのように青く光る目が特徴的なアフリカンランプアイ。
成長しても5㎝ほどにしかならないゴールデンハニードワーフグラミー。オレンジ色の体色がきれいです。
ネオンドワーフグラミー。ドワーフグラミーのなかまは温和なため、小さな魚との混泳にも向いているほか、水槽の中でのアクセントとしても重宝。
もちろんグッピーだっています。色とりどりの生体を少ない匹数で楽しみたい人におすすめ。
魚のほかにさまざまな植物も。こちらはあまり耳慣れない塊根植物という類。フペルジア・スクアローサ。
こちらはリプクリス・ホリダ。両方ともエアプランツのように見えますが、ちょっと違います。このほか、組織培養の植物も多数取り扱っています。
◆店名に込めた思い
「コロナはいったん落ち着きはしましたが、逆に魚が売れにくくなり値上がり傾向にあります。だからこそ、うちでは質のいいものをできるだけ安価でお客さんに提供していきたんです」と、人の気持ちのわかる松下さん。嫌な流れを断ち切るべく、大きな期待が寄せられています。
現在は奥様と2人で店を切り盛り。独立に際して奥様は反対しなかったのでしょうか。「まったくしなかったです。前の仕事も、しんどかったらやめたほうがいいと思っていましたし。好きなことをしているほうが心にも体にもいいんですよ」と頼もしい一言が返ってきました。「私たち、似た者同士ですから(笑)」。
取材中、初めて来店したという男性客と遭遇。「店の前を通りかかった娘が教えてくれたんです。近くにはホームセンターしかなかったので、ちょうどよかったです」。今はスネークヘッドを飼っていますが、かつては大型魚の飼育経験もあるそうです。この日は、ウィローモスに巻きつける石と冷凍アカムシを購入。色々とお話を聞かせてもらったあとは、「またきます」とニッコリして帰って行かれました。ご来店ありがとうございました!
店の一番奥にはカラの水槽が上下に1つずつ。「上の水槽にはサンゴを、下の水槽には海水魚を投入する予定です」。まだ少し時間がかかりそうですが、これが完成すれば一区切りつくと同時に、店としても大きな前進であることには違いありません。
同時に、心身ともに傷ついた過去の辛い記憶を消し去ることができるよう、祈らずにはいられません。その時はきっと、「独立してよかった」と心の底から思えるに違いありません。
誰もがふらりと立ち寄れる気軽なアクアショップ。初心者でも上級者でも関係なく。そんなイメージが定着していけばいいですね。そう、店名にもなっているように、魚だけでなくアクアユーザーにとっても「オアシス」でもありますように。